月別アーカイブ: 2024年3月

傍を楽にする

百年示道塾とやまの合同新卒社員研修「若手塾」
昨日はその最終講でした。

例年だと社会人としての一年目を振り返り、
翌週から「先輩」となる心構えを醸成・共有する場を造る。
そういう場として設計していますが、
今年は若手社員全員で被災地の輪島まで支援物資の運搬を行いました。

全国の経営者仲間やJCD(商環境デザイン協会)仲間から頂いた義援金にて購入した水や物資を
10tトラック2台、ハイラックス1台、ハイエース1台分というかなりの量を運びました。

本当に大変な量でしたが現地の人とも協力して全ての物資を降ろして来ました。
約2時間かかり、6キロある水のケースを2000箱
バケツリレー形式で降ろします。
もう手がパンパンになりました。
かなりの重労働でしたが被災地の方々の喜ぶ笑顔を見て
力を緩める訳にはいきません。

また、
被災して今なお大変な生活をされている現地の方々のお話しを聞いたり、
実際に火災で燃えた地域を視察したり、
ボランティアで応援に来ている大学生の話も聞きました。

若手社員一人一人、
彼らなりに思うところがあったでしょう。

帰り道の車内では
はたらくの語源である「傍を楽にする」の意味を実感した。
大変だったけど誰かのために行動する事は楽しかったし、やりがいがあった。
と、良い感想や意見が出てきました。

被災地を応援する目的で支援に訪れていますが、
毎回力を頂いて帰って来ています。

新入社員からすると
日々の仕事の中でその先の「お客さま」を意識して
はたらけている人は少ないと思います。
まだまだ先輩の指示に従って、早くやれる事を増やしたい。
一人前になりたい。
仕事を「スキル」の集積として考える事が多いでしょう。
今は仕方ありません。

今回、実際にその先に居る「人」を感じました。
自分が汗を流した結果、喜んで頂ける人の顔を直接見れた事は
彼らにとって大変大きな意味があったと感じます。

傍を楽にする。

日々の仕事でも社員が常にこれを感じられる様な場を創っていきたいです。

 

メンタライジング・リーダーシップ

「高2生徒、カンニング発覚後に自殺」という記事を読みました。

2021年12月
大坂の進学校の期末テストでとある生徒のカンニングが発覚。
全教科0点という処分と共に写経80枚と反省文を書いたそうです。
日ごろから校長が「カンニングはひきょう者のやる事」と訓示していたそうで
反省文も指導教師が「ひきょう者」を引用した内容に加筆修正させたとか。
その二日後に生徒は自殺しました。
遺書には「このまま周りからひきょう者と思われて生きていくのが怖くなった」とありました。

そして両親が息子を自殺に追いやったのは学校の指導の責任として
学校側を訴訟する予定だそうです。

考えさせられた記事です。

間違いなく彼のやった事は良くない事。
でも、もともと「ひきょう者」として産まれてきた人は居ないと信じます。
短い時間ではありましたが彼が生きてきた中で彼をそうさせた原因があったはず。

もしかするといろいろなプレッシャーでカンニングをせざるを得ない状況になったのかもしれない。

今起きている事象には必ず原因があります。
起きた事を再発させないための叱責も大事ですが
なぜ、彼がそうせざるを得なくなったのか?の原因追及がもっと大事だと感じます。

そうやって人に寄り添いながら、
「この人なら素直に話しても大丈夫なんだ!」と思って貰える関係性を築き
深層心理にある「原因」を見出して、
一緒に乗り越える。

そういう行動を「メンタライジング・リーダーシップ」と呼ぶそうです。

なかなか表面上の出来事しか目に入らず、
どうしてもそこにフォーカスしがちです。
相手との関係性が長くなれば長いほど、
なかなかメンタライジングできない気がします。

私も反省すべき点がたくさんあります。

リーダーになる人にはこの力が必要だと感じます。
日々、起こる事象に囚われずに、深くにある原因に目を向けていきたいですね。

心を震わす

百年示道塾の経営者仲間で能登沖地震の被災地支援を続けています。
先週の日曜日は当社の社員もつれて輪島へ物資を届けてきました。

震災後、初めて輪島に行きました。
テレビでよく見る、火事になった朝市通りは
震災以降まったく手つかずの状態でした。
あまりの手つかずさにびっくりしました。
復旧の様子が全くありません。
人がほとんどおらずゴーストタウンの様です。
北斗の拳を思い出しました。
自衛隊やボランティアの姿も見えません。

道を挟んで全く燃えなかったエリアと
全焼しているエリアが綺麗に分かれています。
全焼エリアの中にも道路はありましたが、
その道路を挟んで延焼しているところもあるんです。
あんなにくっきり明暗が分かれるもんなんでしょうか・・・

朝市通りからすぐ近くの焼け残った一角に、老舗の和菓子屋さんがあります。
そこのオーナーがボランティアの大学生にお店を貸していました。
県外から大学生がたくさん来ていて、炊き出しやボランティアを泊まりながら
しているとの事。
話を聞いたら、住宅の罹災届の検査が検査官不足で追いついておらず
未検査だから壊すに壊せない状況なので、ボランティアが居ても何もできないとの事。
罹災届の検査員増員だって他県へ応援要請をすればすぐに出来るはず。
政府や行政はなぜそういう応援もやらないのか?
プッシュ型の支援打ち切りという方針にも違和感を感じます。

輪島以外の七尾や珠洲は少しは復旧が進んでいました。
もう少し人が居て、元気に頑張っていくぞ!という空気が感じられました。

輪島はなんかおかしい。
確固たる根拠はありませんが違和感を感じます。

今回は行政通しての支援物資運搬ではなく、個人的に繋がった方々へ届けしました。
輪島の二勢という山側にある集落の大きな倉庫がある個人のお宅です。
避難所生活が厳しいのでとりあえず自宅にて生活する人が増えてきて、
二勢の避難所は人が少なくなってきているそうです。
水道が復旧はしましたが下水はまだ繋がっていない。
しかもその水も飲料には適していないとの事。
でもやっぱり避難所よりも自宅がいいのは理解できます。当たり前の事でしょう。
実はまだまだ飲料水も支援物資も不足している。
しかし避難所に物資を取りにいきづらいそうです。
家が壊れて避難所生活を余儀なくされている人からの目があったり、
あからさまに後回しにされたり。炊き出しにも並びにくいそうです。
きっとそういう言葉もあるのでしょう。
プッシュ型支援がストップしたのでストックの物資も減ってきているのでしょう。

そういう事があるのか!と驚きました。

なので今回の個人的な支援は大変喜ばれました。
届く予定時刻を集落の皆に伝えてあったので、
どんどんとそのお宅に人が集まってきて、笑顔で私達を迎えてくれました。

ニュースやネットなどでは避難者の減少や水道復旧もあり避難所を閉鎖したという情報も入ります。
避難者が減る事は良い事と思っていましたが、色々な事情がある事を知りました。
数字だけ見ていては分からない。
真実は現地に行き、自分の目で見て確かめないと分からないものです。

物資をお届けしたお宅は地元の教育委員会の委員長との事。
その方が皆を代表して、涙ながらにお礼を言ってくれました。

きっと、
避難所からも疎まれ、
支援も打ち切られ、
世の中から必要とされていない孤独感を感じていたのかもしれません。

富山から9人で3台に分けて物資を運びました。
それが嬉しかったとの事。

心を打たれました。

二勢の方たちに少しでも勇気と希望を与えられたのであれば幸いですし
私達もだれかの為になる事の大切さを再認識すると共に大きな力を頂きました。

朝市通りで出会った大学生もみな素敵な笑顔を魅せてくれていました。

おかしな世の中だけど
人として生きる上で大切なことは、ずっと昔から変わらない。
心を震わす事って意外と単純です。

違和感をたくさん感じる世の中だけど
きっと小さな力の集積が、世の中に波紋を広げていけると信じて、
コツコツと活動を続けていく事が大切だと再認識しました。

この震災の復旧はかなり長引くと実感しました。
行政への募金や支援金は末端の本当に困っている人達へは届いていません。
この先も怪しいものです。

一人一人がちょっとの何か出来る事をやって
それの集積が大きな力になると感じます。

小さな事ですが長く長く続けていきます。

本氣で向き合う

今年も採用シーズンが始まりました。
今週は月曜日、火曜日と連続で合同説明会に出展してきました。

できるだけ多くの学生さんと接点を持ちたいと思い、
頑張ってブースを創りました。

既製品の旗、椅子カバー、テーブルカバーとか、どこの会社も使ってるような
グッズは一切使わず、全て手造りのブースです。
学生さんとの距離を縮めたかったので、椅子を撤去してもらって
畳と円卓をおきました。実家の茶の間を再現したくて。

マイナビさん曰く、畳を敷いて円卓を置いた企業は初めてとの事。
学生さん達に「突き抜けるほどの挑戦を!」って言っているのに
うちの会社が突き抜けてなかったら話になりませんからね。

沢山の学生さんと接点を持ちたい理由は、
トミソーの選考に来てくれる学生さんの母数を増やしたいからではありません。

「自分らしい働き方をする」「自分らしい就活をする」事の大切さを
一人でも多くの学生さんに感じて欲しいから。

どうしても「就活」のイメージが合格・不合格になっているのではないかと感じます。
これは企業側も学生側も同じ。
企業側は福利厚生や休日日数、有給消化率、基本給など「条件」の良さで学生さんにアピールし
学生さんからの合格を欲しがります。
学生さんもまずは服装、髪型、受け答えなどなんとなく続いてきた暗黙のルールに則り準備や練習をし、その企業に合わせた受け答えを考えて企業からの合格を欲しがります。

そもそも「就職・採用」って「合格・不合格」ではないはず。

とある尊敬する経営者は採用を「出産」に例えます。
うちの採用担当の鬼原は採用を「結婚」に例えます。

正に採用とは「家族に迎え入れる事」です。

絶対に「条件」なんかではない。

だから、学生さん一人一人と本氣で真剣に向き合いたい。

トミソーに来なくてもいい。
トミソーと出会い、話を聞き
「こんな考えの会社もあるのか!」
と視野を拡げ、自分らしい後悔のない就活をする。
これが私達がたくさんの学生さんと接点を持ちたい理由です。

事例を一つお話しします。
昨年、当社の選考の途中で自分の本来の気持ちに気づき
違う会社から内定を貰った学生さんがその報告とお礼に来た事がありました。
彼は就活の段階で悩んで悩んで自分を見失い、自分を取り繕い
その企業に合わせた「その企業の正解」を答えようとしていました。
しかし彼は当社の選考の問答で自分の心を深堀りし、
自分が本当に大切にしている事に気づきました。
それを他社の面接で答えたら内定がもらえたとの事。
彼にとってはその企業の方が合っていると感じましたので
私は喜んで彼を不採用にしました。
今でも彼とは仲良しです。LINE友達です。
彼の内定の報告は心から嬉しかったし、ずっと応援します。
まだまだほんの少しですが、目指す未来が感じられました。
「全就活生に幸あれ!」がトミソーの採用活動のスローガンです。

就活をポジティブにする。
学生さんが就活に後ろ向きにならずに、
自分が家族として迎え入れて貰える会社と出会える場が就活と採用です。
もっとワクワクできるはず。
そんな考えをもてる学生さんを一人でも多くしたい。
そのために頑張って頑張って沢山の学生さんに訴えています。

その過程でトミソーに興味を持って、
トミソーに入りたい!と選考に来てくれた学生さんには、
もっともっと時間と力をかけて本氣で向き合います。

家族になるのだから。

なんだか世の中には「採用の歩留まり」という単語があるそうです。
3人採用したかったら9人に内定を出しなさい。
1/3は4月までに辞退していきますとの事。歩留まり約3割だそうです。
嫌な言葉です。大嫌いな言葉です。

人と人が繋がる事が就職と採用です。
工業製品じゃないんだから。

トミソーは1名募集なら1名にしか内定を出しません。

本氣でぶつかって、本氣で迎え入れるんです。

トミソーに入る入らない
関係なく私達の「本氣」を感じたい学生諸君
お待ちしております。

卒業式

今回は「感想」を述べるブログになります。

昨日、息子の高校の卒業式にPTA会長として出席してきました。

良い卒業式でした。
息子の通う富山いずみ高校は県内では珍しく総合科と看護科があります。
昔は女子校でした。

総合科は4クラスあって、2年生の途中から文系・理系に分かれますが、
毎年クラス変えがあります。
看護科は2クラスで、ずっと看護の勉強をします。
看護科には専門学校の様な専攻科があり、
一旦卒業してももう2年間通えます。
専攻科のクラスは一つです。

息子に聞くと、看護科の生徒の方が総合学科よりも途中でやめて行く子が多いそう。
実習などで看護の厳しさなどを知り、進路を変えてやめて行くのでしょう。
一年の時は50人以上いた看護科の生徒も専攻科を卒業する頃には37人です。

3年生までは総合科と看護科と一緒の授業もあったり、
体育大会や文化祭も一緒に行います。

帯灯式を終え、一旦卒業した専攻科の生徒たちは
校舎も少し離れた所で看護の専門的な事を学び、実習に出たりします。
2年間、仲間として看護師や介護士としてデビューするまでここで切磋琢磨するんですね。

卒業式の答辞でここまで感動した事は初めてでした。
一緒に学んだ仲間への感謝の言葉、
この先夢に向けて頑張って行こうと言う言葉が
嗚咽に負けてなかなか出てきません。
代表の答辞を聴いている専攻科の生徒達も皆泣いていました。
本当の「仲間」だったのでしょう。

5年間同じクラスで学び続け、しかもやめずに残った同志です。
この37人の絆は強い。
同じ目標に向かって力を合わせている同志を生む場。
人が育まれるのには場が大切だと改めて感じた日でした。

そしてこういう姿を観させていただいて
心を震わされ、感動で涙があふれだす。
本当に良い卒業式でした。