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PTA会報寄稿文

年3回発行される高校PTA会報への
最終回へのPTA会長として寄稿した文章です。

 

「地域から日本的社会を取り戻す」

令和6年は元旦から経験した事のない大きな地震で幕を開けました。亡くなられた方には心からお悔やみを申し上げると共に、被害にあわれた方々には一日も早い復興をお祈り致します。
いずみ高校には大きな被害もなく、受験生にも大きな影響はなかったとの事ですが、甚大な被害を受けた地域の受験生は、人生にとって大事な時を震災でぐちゃぐちゃにされた事でしょう。少なからず私達の子供達にも心の奥底に影響があったと感じます。心の発達に一番大切な中学生の時期に得るべき貴重な経験を、COVID-19に全て奪われ、今度は千年に一度の大地震。混沌として先の見えない時代(VUCAの時代)を、子供達は我々大人と共に生きています。未曽有の事象しか起きない未来。過去の経験や成功事例は意味を成しません。自身で考え、生き抜いていく力を発揮させなければなりません。

さて、昨年はCOVID-19が落ち着いた(風な世論の)おかげで様々な行事が再開されました。恐縮にも体育大会に招待して頂き、子供達の姿を間近で観させて頂きました。彼らが経験した事のない初の体育大会を、彼らは自分達の創意工夫でしっかりとやり切りました。素晴らしい笑顔と感動を頂きました。彼らはこんな時代でもちゃんと仲間・同志と社会を築いています。

また少し悲しむ事象とも出会いました。生徒と保護者の懇談会での生徒達からの事前質問。子供らしい無邪気な質問も多くある中、その一つに「子供って必要ですか?」の一文を見つけました。前日にこれを読んで涙が出ました。社会の一番小さな単位「家族」の中で自分が必要とされているのか?疑問に感じているとすると大きな問題です。ならば一回り大きな社会である「地域」の大人達が「何を言っているんだ。絶対に必要だ!」と強く伝えていかなければなりません。これこそ我々PTAの役割です。教師も親も関係なく子供達を「教え、育む」。幸い懇談会は参加された親御さん達が真剣に子供達に向き合って頂いたおかげで、中身の濃く良い内容になりました。私達の村で産まれた私達の子供達を村の大人達皆で護る。その場にそういう日本的な社会が現れ、希望の光を感じました。子供達の大きな勇気に繋がったでしょう。親御さん皆さんには感謝しかありません。

先の体育大会でも感じた子供達の力。彼らが産まれてから今日までほとんどが初体験です。それを仲間で支えあい激励しあい生き抜いています。VUCAの時代を乗り越える力は今こそ彼らが持っています。私達大人はただ子供達を信じて、「わが村に産まれた君たちが一番大切」と伝えるだけ。こういう時代だからこそ日本的社会で子供達を護っていきましょう。

最後に。いずみ高校の生徒の皆へ。短い期間ではありましたが皆からは力強さを頂きました。こんな大変な青春時代を仲間達と力を合わせ乗り越えた皆さんです。きっとこの国を支える希望となります。卒業生も含めていずみ高校生徒全員に幸多からんことをお祈りします。

1年間ありがとうございました。

 

なぜ諦めないのか

なぜ諦めようとしなかったのか?

って質問をされたんですよ。
先週に開催しました示道塾の公開講座というイベントで
私、パネラーとして人前で話をしたんです。

その時の話の中でこの質問を受けました。

いきなりだと意味分かりませんよね。
パネルトークの中で
示道塾と出会って、新卒採用をスタートし、
良い会社にしたい!とずっと取り組んできた中で
逆境ももちろんあるなか
なぜ諦めずに突き進んできたのですか?
という問いかけがありました。

もちろんまだまだゴールは遠く。
(いやゴールなんてものはないかもしれないですが)
まだまだ全然道半ばではあります。

一応、パネルディスカッションの事前の打ち合わせはしていたのですが
その前の基調講演がかなり突き刺ささりまして、
完全に頭がリセットされていました。

事前打ち合わせの内容を忘れていまして
質問されたときにポカーンとしてしまいました。

で、思わず口から出た言葉が

「仕方ない。理想が出来ちゃったんだから」

でした。

そう。
理想ができちゃったんです。自分の中で。

今でもはっきり覚えている自分の原体験。
4年前の令和の武者修行。
新入社員と子供達が3日間の登山を終えてゴールしてきたその瞬間。

朝に山小屋を出て13時間も山を歩き続け
真っ暗な登山道をヘッドライトの明かりを頼りに下りてくるメンバーたち。
ゴールして涙で抱き合い、達成の喜びを分かち合う同志。

この瞬間、このチームは紛れもなく「世界一のチーム」でした。

世界一って相対的なものではなくて、
自分達が「世界一の仲間だ!」って思えるかどうかですよね。

こんな仲間を会社で創っていきたい!
って魂で感じちゃったんです。

仕方ない。
魂が理想のチームの姿を感じちゃったんです。

諦めるという選択肢があろうはずがない。

頭が空っぽの時に思わずこの質問が来まして
ふっと出た言葉でしたが、
素直にそう感じたんだなあ。と
思い返しても納得できます。

仕方ない。理想ができっちゃったんだから。
やるしかないんです。

一か月

先週の七尾への支援物資運搬のあと
色々と考えてます。

震災から一か月。
2月1日、NHK特集での珠洲や輪島の限界集落の現状の放送を観ました。

避難所の人のケアをしている方や
地震調査をしている大学教授が
東日本大震災の時と、今回の能登沖の地震の違いを説明されています。

・道路の隆起が酷く交通インフラの復興が困難(東日本は津波は凄かったが道は綺麗だった)
・限界集落で過疎化が激しい半島の先端が震源地(元々幹線道路が少なかった)
・海から山までの距離が短く山崩れや土砂くずれが生活圏のインフラに大きく影響
・ボランティアや土木・建設作業員の宿泊場が遠く、移動時間増で作業が進まない
・地殻変動、隆起が酷く地下の水道管の復旧に時間がかかる

だったかな。
とにかく、半島の先端での大災害に対して
できる事が限られている事が良く分かりました。
最近のテレビ報道としては、凄く良い内容だったと感じましたね。

支援物資も、資金援助も、ボランティアの応募も、作業員の数も
実は十分に準備できる。
しかし、交通網の寸断や宿泊所の遠さにより
なかなか一気に沢山の人や物を送り込めない。

もどかしい現状があるみたいです。

この一か月、私の仲間は毎週の様に物資を届けています。
私も次の日曜日も珠洲と能都町まで簡易トレイを500個運びます。
ずっと現地の事を気にかけて、モヤモヤとして過ごしていました。

先週の七尾での体験。
私達が出来る事・やっている事は大した事ではありませんが
それでも現地で実際に被災した彼らは大きな笑顔で「ありがとう!」と迎えてくれます。
状況が状況だけに、出来る事は限られていて
そのもどかしさを一番感じている彼らが、
一番大きな笑顔をしている。

七尾で見た子供達は元気に、楽しそうにしていました。

彼らは前を向いているんです。

この一か月、なんか気持ちとして足踏みをしている感覚がありました。
一所懸命に一日一日を生きているのですが
前に進んでいない感覚がありました。
「何も出来ていない」
という感覚でしょうか?

変に自粛する事はなかったです。
こういう時こそお金を回そう!と
新年会も盛大に開催しましたし、飲みにも行っています。
娘の見送りも兼ねて東京へ一泊で遊びに行ってきました。

日々の行動や経済活動に関しては自粛せず全力で取り組んでいましたが
気持ちの面で何か引っかかっている部分があった様に思えます。
今を見て生きているのですが、未来を見ていたか・・・・

今回の災害の地理的、物理的状況(これは言い訳の材料かもしれませんが)と
現地の彼らの大きな笑顔と前向きさ。
そして現地の子供達の笑顔を見て。

ちょっと吹っ切れました。

改めて、今年一年の自分の目標を思い出しました。
この一か月忘れていました。

被災地への支援は何も今しか出来ない事はなく
七尾市長も言っておられた様に、風化させない事が大切。
焦らず、長く支援していく。ずっと。

とりあえず微力だけどコツコツと繋げていきたい。

そして、自分は自分で自分の未来に向けてしっかりと進めていこうと
改めて思います。

と、いう事で先週の土曜日は久しぶりに走りました。
急にモチベーションが上がりました。
今年も武者修行で新入社員と中学生と一緒に山に登りたいし、
富山マラソンで5時間を切るという目標を達成したい。

今年初ランニングで10キロ走りました。

やっと令和6年のスタート地点に立ったのかな?

一か月遅れましたが、取り戻すべく
速足で、焦らずに進みます。

自らの目で観、自らの耳で聴く

先日、示道塾の有志のメンバーと七尾市まで支援物資を運んできました。
示道塾としては3回目の物資支援。

その都度、避難所のニーズは変わってきます。
現地で支援活動を行っている仲間から情報を貰って準備をしています。
今回は水と共に大量の簡易トイレや凝固剤、ロールペーパーを運びました。
また、簡単に獲れて栄養価の高く日持ちもするみかんも沢山もっていきました。

七尾まで思っていたより困難もなく行けました。
渋滞どころか普段よりも空いています。

道路は所々で隆起があり、応急処置で補修してありますが
ジャンプ台の様になっているところもあり注意が必要でした。
(何度か見落としてジャンプ台に突っ込み、シートからお尻が浮きそうになりました)

七尾の街をちょっと高台から見下ろすと、家々の屋根が青い。
ほとんどの瓦屋根の家の棟瓦が落ちていました。
古い家は傾いたり、崩れているものもあります。
ブロック塀や石塀も崩れています。

七尾市の7割がまだ断水だそうです。
街中を全国各地の市や町の名の入った上下水道局の車や作業車が走っていました。
今は緊急救出などのフェーズが終わり、インフラ復旧の段階に入っている事が分かります。
各所で県外の上下水道局の方々が道路を掘り水道管の復旧に汗を流していました。
完全復旧は3月になる見込みとの事です。

避難所にて荷物を降ろし、そこの方と少し話をしました。
避難所の課題も次のフェーズに入ってきているとの事。
本当にお金がなく、水も買えないから避難所に来て生き延びている人。
コンビニでも個数制限はあれど水は買えます。お金はあるけどタダで貰えるからと
避難所に来て水を貰っていく人。
公平か平等か。
不満の声も出てきていて、凄く難しい課題が出てきているとの事。
こういう時こそ日本人としての美意識をもって、子供達に恥ずかしくない背中を魅せて欲しいものです。
避難所でも子供達は元気でした。
物資を運ぶのを手伝ってくれました。

当初は昼ご飯を富山で買って行こうかと考えていましたが
水が復旧しない中、営業を再開している飲食店があるとの事で
紹介してもらい、そこで昼食を頂きました。
壁にひびが入り、照明のカバーは落ち、エアコン本体のカバーが落ちて機械が丸見え。
どれくらいの揺れだったのか。想像がつきます。
食器が洗えないので紙コップ、割りばし、紙皿での営業。
出来るだけお金を落とそうと思い三人でお腹いっぱい頂きました。
お隣に座られた地元の方、
店員さんからお冷を貰い「ああ、お水。ありがたい。」の一言。
お冷を頂けるありがたさ。この当たり前の事が、実は凄く有り難い事なんだと
肌で感じました。

今回はなんと七尾市長の茶谷氏との面談までセッティングして頂きました。
茶谷市長のフットワークの軽さに驚きました。
・子供達のメンタルの心配
・七尾だけでなく奥能登も含めた北陸全体での復興
・和倉温泉の被害の甚大さ(雇用の創出)
・この震災を風化させない
短い時間でしたが、七尾市への未来にかける思いを感じました。

地元の仲間からも和倉温泉の被害の事は聞いていたので
温泉街をちょっと見てきましたが、その被害の酷さに驚きました。
大きな建物が傾いていたり、1メートルくらい地盤沈下していたり。
元々地盤の弱いところだったのでしょう。
建物も重いからでしょう。
人間はその英知と技術を使って鉄筋コンクリートの巨大な建物を建造する事はできますが
自然の大きな力には抗えない。
地震の被害にあい廃墟の様になったいくつもの建物の間を車で走って恐怖を感じました。
本来なら観光バスや観光客で賑わっているはずの街。
ほとんど車も走ってなく人もいません。
凄く天気のいい日で、波も穏やかで。
こんないい気持にさせてくれる自然が一度暴れると私達は何もできない。
鉄筋コンクリートのビルなんて建てちゃだめなのでは?とまで考えました。
ずっと地震列島に住んできた日本人は古来よりその災害と向き合って生活してきました。
木造の家の免振性能の素晴らしさは技術で出来たのではなく
生活の中で培われてきたもの。原点回帰する事が自然な事では・・・など建築業としての立場からもいろいろと考えさせられます。
1メートルほど地盤沈下した大きな旅館の、横の芝生公園で小学生高学年くらいの子達が
バドミントンをして遊んでいます。
大変な被害の街ですが子供達にとっては自分の故郷。
復興には大変な時間と労力とお金がかかりそうですが前を向いていかなければいけません。

一番印象に残っている事は地元の人達の力強さです。
現地の仲間や避難所の方々の明るい笑顔。
「おー来てくれたか!ありがとう!!こんなにたくさん!」
と凄い笑顔で大きな声で出迎えてくれます。
水が出ない中お店を開け、笑顔で出迎えてくれて、
「紙コップと紙皿ですいません。メニューも少なくてすいません。」
全く謝る必要もありません。こうやって頑張っている姿を魅せて頂けるだけで有り難い。
「ありがとうございました。また来てください。」
絶対にまた行きます。
どんな境遇でも子供達は元気に笑顔で遊んでいます。
大人たちはそれを必死に護ろうとしています。

支援をしようと思い、現地に行き、惨状を見て
ぎゅっと心を捕まれるような気持になり
少し沈んだ気持ちになりかけていましたが
逆に地元の方々から大きな大きな力を頂きました。

普通の生活が出来ている私達が
もっと元気に
もっと活き活きと
前を向いていかないとダメです。

帰りの車内でも「俺たち、もっと頑張らんといかんな!」と話をして帰りました。

現地の方々に迷惑はかけたくないので、
その時の感情や勢いや雰囲気で善意の押し売りはしたくありません。
しかしテレビやネットの映像や情報だけでは感じられない事が沢山ある事が改めて分かりましたし、復旧には膨大な時間と労力とお金がかかる事も実感しました。
今後も現地の仲間からの情報を元に、細いかもしれませんが長く長く支援を続けていこうと思います。

風化させない。
市長の言葉が胸に残ります。