令和5年 この4月で当社は設立70周年を迎えます。
社屋正面看板を「Thanks 70th Aniversaly 設立70周年バージョン」
に変更しました。
70年前に富山市総曲輪にて「株式会社富山装飾」として設立した当社。
先代であり私の祖父である島田一三が、個人事業として「島田商店」を開業した2年後です。
大東亜戦争に兵士として従軍していた祖父ですが、
話によると、出兵する前に終戦を迎えたとか。
京都府舞鶴の基地から富山までぎゅぎゅう詰めの列車で戻り、
焼け野原になった富山市内を見て、ものづくりをしようと決意したそうです。
その後5年ほど家具工場で修業をして、家具の製造販売を手掛ける島田商店を開店。
祖母がミシンが出来たという事から、カーテンの裁縫も始め、その流れで壁紙・カーペットなど
インテリア全般を取り扱うお店になりました。
同じ町内に佐藤工業さんがあり、佐藤工業さんからホテルや病院やビルの内装の仕事を頂いて
事業を大きくしてきました。
今でも佐藤工業さんからはお仕事を頂いております。
70年もお取引をして頂ける事は大変ありがく思うと同時に
先代含め、ずっとトミソーの信頼を損なわずに頑張ってきてくれていた
諸先輩方の努力にも感謝しています。
店舗の二階に先代一家が住んでいた時、電気配線が原因で火事を起こした事があったそうです。
業績の厳しい時には従業員への給料の遅配をした事もあったそうです。
会社に残っている古い手書きの決算書を全部見ました。
残ってる資料には一度も赤字決算はないのですが
過去にはキャッシュフローが回ってない時期があったのかもしれません。
貸借対照表や不動産簿価を見ても、なんとなくそんな形跡が感じられます。
バブル絶頂期、
今考えれば狂ってるのでは?と思えるほど景気上昇している時代。
キャッシュ回りよりも先行投資を優先していたのだろうと
想像がつきます。
私が祖父から経営を継いだ10年前。
最初は決算書の見方なんて全く分かりませんでしたが
徐々に勉強をして色々と理解をしていきました。
なんでこんな投資をしてたの!!
と腹立だしいくらいの数の不良物件がありました。
(計画的に処分していますが、今もまだちょっと残っています)
今考えたらそれが「ザ・バブル時代の投資の在り方」なんでしょうね。
しかしそんな事も全く分からない私は、祖父とよく衝突しました。
親族で事業継承する際によく聞く話。
こんなの押し付けられて!!
といつもぷんぷんしていました。
こんないい会社を継がせて頂いているのに
罰当たりなご子息です。
とうとう、感謝の気持ちを伝えられずに
3年前に祖父は亡くなりました。
晩年は随分と認知症が進んでいましたので
話しても通じなかったと思います。
父を通り越して、
祖父から継いだ二代目です。
同じ環境の人は少ないでしょうから
私の立ち位置や立場が理解して頂ける方は少ないと思います。
が、多分皆さんが想像する以上に幸せです。
60周年の時も私は代表取締役社長でしたが
先代も代表取締役会長として元気にしてました。
その時は60年という重みを感じる事はなく
その時その時の、腹立たしいとか、楽しそう
という感情で生きていたと思います。
理想の未来からの逆算思考ではなかった。
今。
代表取締役という肩書きを一人で背負っています。
そういう肩書きがある、ない関係なく
今は70年の重みを感じています。
これから70年この会社を良くしながら
続けて行くという理想の未来を想像できるから。
70年は凄い。と我が社ながら思えると共に
この会社を創ってくれた祖父、
並びに先輩方皆様に敬意と感謝を表します。
Thanks 70th Aniversaly
もちろん支えて頂いた地域の皆さまへのThanksでもありますが
先代に伝えたい言葉でもあります。
ありがとうございます。
そして、
次の100年に向けて、
必ず良い会社にし続けていきます。