鹿児島ツアー報告1 初日

11月7日、8日、9日と盛和塾富山の研修旅行
2泊三日の鹿児島ツアーに行って参りました。

なぜ鹿児島なのか?
まず、盛和塾の塾長であります稲盛和夫塾長の生まれ故郷であり
塾長の母校の鹿児島大学もあります。
また、稲盛塾長が造られた京セラの社訓「敬天愛人」は
鹿児島(薩摩)が産んだ日本を代表する維新志士であります西郷隆盛の言葉であります。

3日間のツアー
流石にそんなに時間があっては、飽きちゃったりもするかな・・・
などど心配を多少しながら(なにせ今年は私が幹事をしていまして)いましたが
3日間、本当に充実したいいツアーになりました。

まず初日ですが
鹿児島空港からバスで知覧へ。

知覧特攻平和会館です。

一度は来たかったところ。
幹事権限で盛和塾も稲盛塾長も西郷隆盛も全く関係ありませんが
ツアーに盛り込みました。

しかし、日本男児として、
どういう歴史があって、どういう人たちが、どういう想をもちながら散っていったのか?
そのおかげで今の日本がある。
という事を知る意味でも、鹿児島に来てここは外せないところだと思います。

もちろんですが中の展示ブースは撮影禁止ですので、
写真も撮れません。なかなか言葉では表せませんが、
ここは一度行くべきところという事は言えます。

 

最年少で17歳の少年兵が、知覧の飛行場から機関銃すら外されて、片道分の燃料しか積んでない飛行機に乗り、沖縄沖までアメリカ戦艦に特攻するために飛び立つわけです。

まあ
可愛そうとか、戦争がどうのとか、洗脳だとか、やはり平和がとか、プロパガンダとか
観た人それぞれ感じるところはあると思います。

ちょっと時間が短くて、本当に全部は見れませんでしたし、なかなか自分の気持ちや考えがまとまるまで時間がかかりました。
やはり単純に可哀そう。もう二度とこんな事はしてはならない。戦争の悲惨さ。
という想いが強くなりますよね。
そういう方向の展示のしかた とも取れます。

難しいのですが、記念館を出た後のバスの中でもずっと考えていましたが
私の感じた一番の想いは
「いかに生き、いかに死ぬか」
でした。

特攻を美化するつもりも擁護するつもりもありませんが、
あの時代、あそこに集められ、教育されて、さあ飛べ!となれば
飛びますよ。
そこに、利己は全くないでしょう。
もちろん、訓練中や収集されたときは
自分の運命を恨む事もあるでしょう。涙で枕を濡らす夜もあるでしょう。
怖くて怖くて眠れぬ夜もたくさんあるでしょう。

しかし、飛行場を飛び立ち空に出、
沖縄沖までエンジンの爆音の中2時間から3時間飛び続け
キャノピー越しの遠く水平線の先にアメリカ戦艦を見つけたら・・・・

もう行きますよ。
自分の生をここで全力で生き切りますよ。

思う事は親や兄弟や家族でしょう。
その家族を守るためと信じて、生ききるでしょう。

士(さむらい)の時代から、いかに死ぬか?
が男の道だと言われてきました。
命を軽んじるという意味ではなく
同じ命をどう使うか?
に美学を求めた時代です。

誤解を恐れずに書くと
特攻隊の少年たちは、その運命で託された中で
全力で生き、全力で死んだ。

決してただただ「可哀そう」と悲しむ対象ではない。

今の時代の我々もこの彼らの生きざまを知って
感じる事はもっともっと他にもあるはずだ。

と思いました。
改めて、自分の命をどう生ききるか?
真剣に。何かのために。

 

 

 

 

と、

いう事で。
ついつい長くなってしましたが
とりあえず一度行った方がいいですよ!

 

さて、その記念館を出て
続いて知覧武家屋敷を見学しました。

江戸時代、知覧にもお城があったんですね。
薩摩藩主の島津家は、江戸の徳川時代にあっても佐幕派ではなく
あたかも薩摩藩だけ独立したような、鎖国状態を築き上げてきました。
江戸の徳川幕府も一目置いていたそうです。武士が薩摩に(非公認で)入ったなら
二度と薩摩から出てこれない。(スパイ容疑で殺される)とまで言われたそうです。
その島津家が薩摩を守るために大名を薩摩の各地に住まわせ、守りを固めるために小さな城をたくさん築かせ、武士を住まわせたそうです。

この知覧の武家屋敷群もその一つ。

琉球王国との交流もあったそうで、沖縄的な石垣もある なんとも変わった街でした。

実際に今でも全ての家屋が利用されているらしく、
レストランやカフェもあり、いくつかの屋敷は庭を公開していました。

各屋敷や通路は戦を意識した造りになっていて、攻めてきた敵を討ちやすい工夫が
そのままに残っていました。
塀とか門とかね。
そしてその中に小さな庭が。
白い砂はシラスといって桜島の火山灰を踏み固めてある土です。
石の置き方と言い、木の配置といい、京都の寺院の庭、枯山水を思い出します。
しかし、水をたたえた池があり、鯉が泳いでいます。

参勤交代などもあって京を通過して行き来していたとの事です。
京都で枯山水の庭を見て、感動して自邸に造ったのでしょう。
枯山水は人生と宇宙を表すと聞きました。

戦国の士(さむらい)が、300年以上昔、同じ景色をこの縁から眺めていたのかと思うと感慨深いですね。

特攻隊ではありませんが、
やはり死というものをもっと身近に
意識しながら生ききった男達がいた時代です。

知覧は時代を超えて
日本男児の生き様を感じられる場所でした。

まあ、実はこのツアーの三日目で、
維新志士達の生き様をもっと感じる事になるのですが、
この日の私はこれで十分感じられてましたね。

鹿児島ばんざい!

鹿児島来て最初に見た西郷南洲(隆盛)翁の姿がこれか・・・・
と、ちょっと寂しい。

(しかし、くどいようですが3日目には嫌というほど翁のお姿を見るのです)

余談ですが、知覧はお茶が有名だそうで。
せっかくなので頂きました。

 

その後、宿泊地である指宿温泉へ移動しました。

なんだか歴史を感じる旅館です。

そしたら・・・ロビーに敬天愛人の文字が。

ああ、さすが薩摩の国。
どこへ行っても西郷南洲翁関係のものが飾ってあるんだな・・・

と、思ったら。
肉筆????

 

これ、西郷隆盛の肉筆の書!!

ちょっと凄いんですけど!

他にも大久保利通、大山巌、東郷平八郎の書って・・・

くらくらとめまいがしてきました。

実を言うと、私こう見えて歴史小説ファンでして、
ちょうど鹿児島ツアーの3週間ほどまえに司馬遼太郎の「翔ぶが如く」全10巻を3年ほどかけて読了していたばかりだったんです。

※脱線ばかりで何度も投げ出しそうになりながら、結局開いてしまう司馬マジック。

一応疑って旅館のスタッフさんに確認しましたが、
全部本物との事。

鹿児島凄いな!旅館に普通にこんな書がゴロゴロしてんの?
と感動しました。
後に分かりますが、これは博物館か資料館レベルの物でした。

この旅館が凄い!

いい旅館に泊まらせて頂きました。

指宿に来たなら・・・

砂風呂体験。

すっぽんぽんに浴衣1枚になって(男も女も)
本当に海岸の砂浜に行くんですね。

富山を代表する?経営者二十数名が砂に埋められています。

めちゃめちゃ気持ちよかった!
鹿児島は火山活動が活発でして、地下を通るマグマが地中の水分を温めて
水蒸気が砂浜の砂を熱くし、天然の砂風呂になってます。

ずっしーと砂の重みを感じながら全身から大量の汗が出ます。
その重みがなんとも言えず最高に気持ちいい。
サウナよりも好きです。
もっともっと入っていられそうでしたが、
20分で上がってきました。

その後、懇親会(宴会)を経て、
指宿の温泉街の町(絵にかいたような温泉街の飲み屋街)を実見して
初日は終了。

初日でも十分すぎるほど感じる事、考える事が多く
鹿児島という地を知る事ができました。(とこの時は思ってましたが、まだ甘かった)

翌日は、盛和塾らしく、京セラ工場見学と、塾生企業である歴史ある焼酎酒蔵の酒造さんへ企業訪問。

今日は、たくさん書きたい事を書いて
疲れたので、二日目の話はまた今度書きたいと思います。

鹿児島はもっともっと、
想像以上に凄かった。

※噴火する桜島(鹿児島市内より 三日目撮影)

 

二日目以降の記事にこうご期待

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