月別アーカイブ: 2023年10月

物理的距離感

10月の初めの事ですが、内定式の後に来年の若手塾(合同の新入社員研修)
参加者を集めてチームビルディング研修を実施しました。

トミソーにも来年の4月に新入社員が入ります。
埼玉県に住む女の子です。
もともと富山には縁もゆかりもない子ですが
トミソーの事を知って、
何度か富山に来て、社員とも会って
うちで働く!と決めて。
めでたく4月からトミソーの一員となることになりました。

その日は午前中に社内で内定式を行い
午後にはKOTELOに移動して研修を行いました。

来年の4月から一緒に研修をするメンバー8名(だったかな)
はもちろん初対面です。
昼食も共にしていましたが、なかなか緊張はとれません。

研修の中で30センチ角くらいのちいさな木の板の上に
5人が全員乗るゲームがありました。
肩を組んだり抱き合ったりしなければ乗れません。

チームに分かれて取り組みまして
結局は1チームしか成功しませんでしたが

彼女曰く

体をくっつけて取り組む事
同じ目標に向かって皆で頑張る事

を通して一気に仲良くなったと言ってました。

物理的距離間って
チームビルディングには大事な事だと再認識しました。

ミーティングなども大会議室で離れて座って話をするよりも
近づいて並んで話をする方がお互いをおもんばかる内容や会話になると感じます。

昨年、全体会議のやり方を変えました。
教室型だったテーブル配置を椅子だけを円形に並べる事で
全員の一体感が出る様にしました。
会議の雰囲気が和やかになったと思います。

人間関係上の緊張感があったり、発言しにくい空気感があったりすると
その一人一人の最大の力を発揮する事はできないと感じます。

握手やハグ、海外で目にする頬へのキス。
人間同士の関係性を深めるには重要な事なんでしょう。

行動や環境も人と人の関係やパフォーマンスに差が出るのであれば
ただ話すだけの場をつくるのではなく、
環境や距離感もデザインしていきたいですね。

生き方

先週に私の父が永眠しました。
立て込んでいまして先週はブログをアップする事を失念しておりました。

改めまして父の通夜及び葬儀にご会葬頂いた皆様、
電報や供花を送って頂いた皆様、
本当にありがとうございました。

父は、昔に一度トミソーに入社しましたが
10年ほどで退社し、個人事業主としてコツコツと働いていました。
決して経済的や事業的に大々的な成功と言える感じではなかったと思いますが
日々を楽しそうに過ごしていました。

葬儀に際し町内の方やテニス仲間の方が大勢駆けつけてくれました。
一昨年に父が町内会長をしていたそうで、
その際に大変お世話になった
父が居なかったらうまく行かなかった
会長の任期を終えた後もずっと相談にのってくれた
など、私が知らない町内での父の一面をたくさん聴かせて頂きました。

父は町内会という社会の中で、自分なりの「良い影響」を周りに与えていたのですね。
父がもしも、いい加減に適当に会長職をやっていたら
皆様からそういう言葉は聞けなかったと思います。

人が死んだ後に経済的な成功や名声は持っていけません。
しかし、周りの人にどんな思い出を残していくか?がその人の生き方を物語ります。

経済合理性ばかり取りざたされている世の中ですが
やはり社会にいかに良い影響を与えるか?が人が生きる上で大切だと感じます。

そして、
出来うるならばその影響を与えられる社会の範囲を大きくしていく。

何度も言っています「はたらく」とは
「傍を楽にする」「周りを幸せにする」ことです。
改めて大切なことだなあと感じます。
「お金を稼ぐ」が一番ではないですね。

父も75年間一所懸命にはたらいてきたのだなあと感じました。

たとえ一人でもいいので、
死ぬときに誰かに感謝される生き方をしたいです。

そういう人生を過ごし、生を全うする事を「幸せ」と言えるでしょう。

恥の概念

10月に入りすっかりと寒くなりました。

8月の武者修行からもう2ヵ月が経とうとしています。
月日が経つのは早いです。あれからあっという間でした。

ボーっと寝てる様に生きていると、いつの間にか無駄に命を使っちゃいそうです。

今の瞬間、瞬間を一所懸命に最善を尽くして生きたいものです。

さて、
先週はここで、生命体としての命の使い方の話を書きました。

こういう事も知識として知っていないと「認識」には繋がりません。
認識とは得た知識から自分の考えを得る事。
いろんな知識を吸収して、日々現れる事象をどう捉えるか?
それがそれぞれの人の認識によって変わります。
人それぞれの認識の違いは人それぞれの教養で変わってきます。

教養と認識って大事でして、ただボーっと生きていると

コロナが怖い。
マスクしなきゃ。
ワクチン打たないとだめ。
増税やむなし。
ソーラーパネル大賛成。
SDG’大賛成。

など。
テレビやネットで流れてくる情報を認識としてとらえず
知識としてただただ鵜呑みにしちゃいます。

自分としての認識をしっかりと持ち
考えながら、日々判断や決断をして
外からの情報を鵜呑みにせずに
自分で行動を決めて生きていきたいです。

しかし、人間ですから失敗もするし間違った行動もとります。
自分のとった行動を後から恥じる事もたくさんあります。

でもその「恥」の概念が大事です。
恥の認識が出来る事は、昨日よりはちょっとは成長できているって証です。
恥ずかしい行いはしない(したくない)と思う事が大事です。

そして、その恥ずかしいの基準はなにか?

認識から基づく行動を積み重ねた経験からくる、
自分なりの正しさが基準になります。

その基準が道徳に基づくもななら素晴らしい「恥の概念」となるでしょう。

先週に書いた命の使い方。
年寄りになっても子供を大切に出来ない人。
それを自分で恥ずかしいと思えなくなっている大人が多くなっているって事は
日本人に教養が足りていないって事の現れだと思います。

昔の日本の武士道ならば、恥ずべき行動をしたらば腹を切る。
恥ずべき行動をとったら、死して自分の想いを伝え、後世に「恥」と「汚名」を残さない。
それくらい自分の道徳と正しさの中に生きていました。

現代はそうはありませんが、じゃあ反省しなくていい訳ではない。
振り返って「恥ずかしい行動をした」と顧み反省し次に活かす。
弱い自分もありますが
教養を身に着け、道徳と正しさを大切にしながら生きる事。

現代人とて、大切にしていきましょう。