先日、ある学生さんから
「木村社長は芯がぶれてませんね」と言われました。
その学生さんは、自分が何に向いているのか?
何を芯としてやって行けばいいのか?
悩んでいるとの事。
確かに48歳になった今
私は「人生を賭けてやりきる」と言い切れる志があります。
私に関わる全ての事業や行動をその志に向かえるように、
もがきながら生きています。
こういうことを芯がぶれないというのかな。
しかし、若いころからそんな思いがあった訳ではありません。
ましてや学生の頃は何も考えていませんでした。
その学生さんとの対話の後
いろいろと考えを巡らせました。
自分の事を思い返すに、
自分の芯が固まってくるきっかけは
はたらく中で起きた心に響く体験だった事に気づかされました。
原体験と言えるでしょう。
心の奥底から「これが大切なんだ!」と思えるような衝動です。
自分が創ったお店を潰したくない。
トミソーに入社した若者を成長させる。
そう心から感じた出来事。
そういう体験ははたらく中で得られる事が多いと思います。
お給料を頂く。
お客様から代金を頂く。
お客様の営みに関わる。
お客様の生活に関わる。
仲間と共に力を合わせる。
仲間に助けられる。
仲間に勇気をもらう。
地域の若者を雇用する。
社員の人生を背負う。
関わる人の人生に影響を与える。
私もはたらく経験の中、
どんどんと立場や責任や影響を及ぼす範囲が大きくなっていき
視座が高まっていき、起きた出来事を原体験に置き換える事ができました。
まだはたらいた経験の少ない学生のうちは
視座が高められず、そんな簡単に志をもてず、
芯が定まらないと思います。
例外的に、
人の死に触れた。
自分の死を感じた。
など、「生きる」事での原体験を経て
若いうちから志を持つ学生さんもいるでしょう。
しかし今の平和(ボケ)な日本ならそんな子は0.1%も居ないのではないでしょうか。
(東日本大震災や今回の能登沖地震など例外はあります)
原体験をもたない学生さんに志がない。
実はこれはダメなことではなくて
自然な事だと気づきました。
逆に学生の内から高い志を掲げている人。
それは本当に心の奥底から来た衝動なのか?
「志を持つ事」が目的となっていないか?
志を持っていないと、優秀とみられないから
無理やりそれっぽい事を言ってないか?
本心か? 自分に嘘をついてないか?
自分を偽ってないか?
もしも、
もしもそうだとしたら、
そういう言葉を発しながら突入する就職活動は
苦しさしか産まないと思うよ。
自分はまだまだだなあ
と思い悩む。
理想と現実の乖離を感じる。
その時点で現在の自分よりも一段高い視座から
自分をみている事になります。
理想も分からずもがき苦しんで。
でもいつかは、必ずぶれない芯を持つ!と一歩前に進む。
前に進むのは勇気が必要だけど
その一歩一歩の努力が一番大切な事です。
と、いう事で
意識高そうな同期や同級生とか気にせずに
悩んでいるなら「自分は悩んでます!」と
自信を持って、正々堂々と、カッコつけずに、素直に
言おう。
それが自然だと思う。
何も恥ずかしくない。
その方がよっぽどカッコいい。