日別アーカイブ: 2023年9月29日

年長者・年配者の存在意義

先日、本で読んだかネットで見たか忘れましたが
興味深い考察を知りました。

生物とはもともと、自分の種を進化させながら永続していくために在ります。
その種の中で優秀な個体が生存競争やライバルの雄との競争に勝ち
よりよい子孫を残して死んでいきます。

長いサイクルで見ると、それが循環の輪のようになりますが、
個々の生命体で見ると、とにかく子孫を残す事がその使命であり
存在意義です。

哺乳類以外の生物の、特に雄は生殖活動をするとほとんどの種は死にます。
雌は卵を産み、それを孵すまでは生きます。
その後やはり死ぬ種が多いです。

生命体として、子孫を残した後の個体にはあまり存在意義がないのですね。

しかし哺乳類は多少違います。
子を産んだ後、雄雌そろって子を育てる種もあります。
(雌にまかせっきりのだらしない雄の種もありますけどね)

唯一、哺乳類は生殖した後も生きて子供を育てる種なんですね。
それが生殖後の哺乳類としての生きる意義。

我々人間も哺乳類の一種です。

だとすると、
子供を産んだ後の我々人間は
子供を育てるために生きているって事です。

それを、生命体唯一手にした文明の力を持って、
社会の一員として行動できるのが人間です。

地域の若者の為に生きる。
地域の子供達を立派にするためにその生命を使う。
これが生命体として存在する意義。

年をとればとるほどに
経験も増え、子供達に伝えられる知識も増え
見本となる生き方をしないといけない。

それが、年長者や年寄りとしての存在意義。

赤ちゃんの泣き声を、うるさいと切れる老人。
公園で遊ぶ子供の声がうるさいと苦情を言う老人。

本来の意味ではそういう老人には存在してもらってはダメなんでしょう。

生命体としてのDNAにも深く刻まれているはずの存在意義。

子供達を第一に考えて生きたいものです。