日々の事」カテゴリーアーカイブ

震災と復興

先週末に宮城県への出張があったので、
東日本大震災の被害を受けた南三陸町と女川町を訪れてきました。

仙台までは何回か来ていましたが
恥ずかしながら被災地を訪れるのは震災後初めて。

今、見た感としては復興も一段落し、
本当に平穏な生活を取り戻していると感じました。

その日は天気もとてもよく、海も穏やかで
まさかこの海から18メートルを超える津波がやって来たとは想像もできません。

南三陸町に残された防災センターの跡地。
鉄骨の骨組みだけ残された施設です。
鉄製の間柱や手すり、柵がぐにゃりと曲がっている姿を見ると
津波の勢いの凄まじさを見て取れます。

メモリアル会館では当時被災して一命をとりとめた方々の
インタビュー動画が当時の写真と共に見られます。
見入ってしまいました。
目の前の人が一瞬で居なくなる。
自然というのは大きな心で包み込んでくれると、同時に過酷でもあります。

海に向かって設置してある慰霊碑に手を合わせてきました。

メモリアル会館の横に道の駅さんさん南三陸という施設が新しく出来ています。
復興のシンボルの様なところでしょうか。
地元のもともとあった(と思われる)商店が軒を並べています。
海鮮丼屋さんや鍋焼きうどんやさんなど地元の食事も堪能できます。

そこに佐良スタジオという写真スタジオさんがあり
テナントで借りているスペースの半分近くの面積を使って
常設の写真展を営業されていました。
入館料100円。

店主の佐藤さんが震災前に採った南三陸の人々の姿も写真に収められていました。
そして2011年3月11日の15時過ぎ。
佐藤さんが学校のグラウンドに避難してからの街や津波の様子が
分刻みで写し出されていました。
寒気がしました。
テレビでは流れなかった、リアルにそこに居る人から見た景色でした。
恐ろしさがまじまじと伝わってきます。
言葉になりません。

そして翌日の街の様子。
あまりにもひどい光景ですが、これはテレビでも沢山見てきました。

私が一番心を打たれたのは、
その翌日から、すぐに前向きに生きる人々の姿でした。

泥だらけで助け合う近所の人たち。
生きての再会を、抱き合い涙で喜ぶ女子生徒。
移住を決断し、泣きながらもお互い健勝を誓い合う友人。

復興に向けて前を向いて進もうとしている人達の姿がそこありました。

力強さに涙があふれました。

あんな恐ろしい光景を見て、
沢山の家族や友人を亡くしても、
前を向けるその力強さ。

本当に大きな勇気を頂けました。
100円は安すぎる。

応援の意味も込めて写真集を購入しましたが
肖像権の関係もあるのでしょう。
津波被害の写真は掲載されていましたが
人々の姿は写真集にはありませんでした。

あの人々の姿を見に行くだけでも価値があると思います。

また南三陸に行って佐良スタジオさんの写真を見たいと思いますし
ぜひさんさん南三陸まで行かれたら、そこを訪れる事をお勧めします。

勇気を頂けます。

復興は進んでいる事は間違いないのでしょうが
何かがぽっかりとなくなっている様にも感じます。

全く以前の姿には戻らない。

それを十分も分かっていながら
それでも前を向いている人達が居ました。

これからも定期的に訪れたいと思いました。

完走

初マラソン 無事に完走致しました。

心に秘めたる目標は5時間30分切りでしたが
結果は5時間47分。

もう少しでした。悔しい。

新港大橋を抜けて25キロ地点までは1キロ6分半の楽勝5時間切りペースで楽しかったのですが
そこから膝が痛くなりました。

その後は歩いたり走ったりを繰り返し、
35キロ付近ではエントリーしたことを後悔し
びっこをひきながらなんとかゴールしましたが、その直後は歩き方がお爺ちゃんのようでした。
お爺ちゃん歩きをしながら二度と走らないと思いましたが、
その夜には悔しさが込み上げ、来年の出場を決めました。

35キロあたりで、本当に心が折れそうになりましたが
沿道からの沢山の応援と
一緒にゴールに向かって足を進めるランナー達の姿に励まされました。

何より、
先週迷って投稿したこのブログのおかげでもあります。

公に宣言するっていい事ですね。
ブログで言っておいて「完走できなかった」はかっこ悪いと思い
這いつくばってでも完走してやる!
と頑張れました。

新しい事に挑戦するって人生に張りが出ます。
この歳になっても初体験が出来る事の喜びよ。

今回は目標達成は出来ませんでしたが
向かうべき目標、超えたいハードルがある事の喜び。
ワクワクしてきます。

仕事も人生もずっと新しい挑戦をし続ける方が
成長できますし活き活きと生きられます。

あくなき挑戦を続けていきます。

そしてそれを公表して、不撤退の覚悟をすること!

来年の富山マラソンは5時間切りを目指します!
Youtubeで膝が痛くならない筋トレと走り方を勉強中。
すぐにトレーニング開始です!

初マラソン

明日は初マラソンです。

新入社員研修で登山を経験して、
山が好きになり、趣味が増えました。
年間15回ほど登山しています。

そんな中、今度はマラソンに挑戦です。
登山仲間にマラソンよりも登山の方がきつい
登山の3倍の距離は走れるよって聞きまして。

調子にのって富山マラソンにエントリーしました
(居酒屋で)

新入社員研修の武者修行が終わって
さて、そろそろマラソンの練習だ
と、走り出したのが9月頭です。

走るのって登山とは違う筋肉も使いますね・・・

それからトレーニングの日々でした。

しかし、8月の武者修行を目標に登山トレーニングをしていましたから
それが終わるとロスの様に腑抜けになりそうになるので
何か目標があるのっていいです。

生活に張り合いがでます。

さて、明日頑張ってきます。

生き方

先週に私の父が永眠しました。
立て込んでいまして先週はブログをアップする事を失念しておりました。

改めまして父の通夜及び葬儀にご会葬頂いた皆様、
電報や供花を送って頂いた皆様、
本当にありがとうございました。

父は、昔に一度トミソーに入社しましたが
10年ほどで退社し、個人事業主としてコツコツと働いていました。
決して経済的や事業的に大々的な成功と言える感じではなかったと思いますが
日々を楽しそうに過ごしていました。

葬儀に際し町内の方やテニス仲間の方が大勢駆けつけてくれました。
一昨年に父が町内会長をしていたそうで、
その際に大変お世話になった
父が居なかったらうまく行かなかった
会長の任期を終えた後もずっと相談にのってくれた
など、私が知らない町内での父の一面をたくさん聴かせて頂きました。

父は町内会という社会の中で、自分なりの「良い影響」を周りに与えていたのですね。
父がもしも、いい加減に適当に会長職をやっていたら
皆様からそういう言葉は聞けなかったと思います。

人が死んだ後に経済的な成功や名声は持っていけません。
しかし、周りの人にどんな思い出を残していくか?がその人の生き方を物語ります。

経済合理性ばかり取りざたされている世の中ですが
やはり社会にいかに良い影響を与えるか?が人が生きる上で大切だと感じます。

そして、
出来うるならばその影響を与えられる社会の範囲を大きくしていく。

何度も言っています「はたらく」とは
「傍を楽にする」「周りを幸せにする」ことです。
改めて大切なことだなあと感じます。
「お金を稼ぐ」が一番ではないですね。

父も75年間一所懸命にはたらいてきたのだなあと感じました。

たとえ一人でもいいので、
死ぬときに誰かに感謝される生き方をしたいです。

そういう人生を過ごし、生を全うする事を「幸せ」と言えるでしょう。

恥の概念

10月に入りすっかりと寒くなりました。

8月の武者修行からもう2ヵ月が経とうとしています。
月日が経つのは早いです。あれからあっという間でした。

ボーっと寝てる様に生きていると、いつの間にか無駄に命を使っちゃいそうです。

今の瞬間、瞬間を一所懸命に最善を尽くして生きたいものです。

さて、
先週はここで、生命体としての命の使い方の話を書きました。

こういう事も知識として知っていないと「認識」には繋がりません。
認識とは得た知識から自分の考えを得る事。
いろんな知識を吸収して、日々現れる事象をどう捉えるか?
それがそれぞれの人の認識によって変わります。
人それぞれの認識の違いは人それぞれの教養で変わってきます。

教養と認識って大事でして、ただボーっと生きていると

コロナが怖い。
マスクしなきゃ。
ワクチン打たないとだめ。
増税やむなし。
ソーラーパネル大賛成。
SDG’大賛成。

など。
テレビやネットで流れてくる情報を認識としてとらえず
知識としてただただ鵜呑みにしちゃいます。

自分としての認識をしっかりと持ち
考えながら、日々判断や決断をして
外からの情報を鵜呑みにせずに
自分で行動を決めて生きていきたいです。

しかし、人間ですから失敗もするし間違った行動もとります。
自分のとった行動を後から恥じる事もたくさんあります。

でもその「恥」の概念が大事です。
恥の認識が出来る事は、昨日よりはちょっとは成長できているって証です。
恥ずかしい行いはしない(したくない)と思う事が大事です。

そして、その恥ずかしいの基準はなにか?

認識から基づく行動を積み重ねた経験からくる、
自分なりの正しさが基準になります。

その基準が道徳に基づくもななら素晴らしい「恥の概念」となるでしょう。

先週に書いた命の使い方。
年寄りになっても子供を大切に出来ない人。
それを自分で恥ずかしいと思えなくなっている大人が多くなっているって事は
日本人に教養が足りていないって事の現れだと思います。

昔の日本の武士道ならば、恥ずべき行動をしたらば腹を切る。
恥ずべき行動をとったら、死して自分の想いを伝え、後世に「恥」と「汚名」を残さない。
それくらい自分の道徳と正しさの中に生きていました。

現代はそうはありませんが、じゃあ反省しなくていい訳ではない。
振り返って「恥ずかしい行動をした」と顧み反省し次に活かす。
弱い自分もありますが
教養を身に着け、道徳と正しさを大切にしながら生きる事。

現代人とて、大切にしていきましょう。