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高校PTA会報誌 会長檄文

本年度の息子の高校のPTA会長を拝命しました。
PTA広報誌のPTA会長あいさつ文をここに転載します。
決して手抜きブログではありません。

 

「教え、育む社会」

本年度PTA会長を拝命致しました木村嘉秀と申します。今年一年宜しくお願いします。

私は小さい会社ながら代表を務めています。「社員の成長が一番大切」と見定め事業を進めています。新卒採用を毎年行うと6年前に決め、1名ないし2名採用を続けています。これから社会に羽ばたく若者を立派に育てる事が地域に根差す企業の使命とし、一所懸命に育てています。続けていると不思議と社内の雰囲気も良くなり業績も上がりました。社会にとって若者の育成が重要と改めて実感しています。
若者たちは日本の未来の希望でしかありません。その若者の成長を見守り、後押しする場が我々大人が創るべき社会です。それが日本的な、健全な社会と言えるでしょう。

さて、PTAに話を戻します。学校は子供達の小さな社会。それを見守る役割が我々PTAです。PTAはParent-Teacher Association の頭文字です。即ち親と先生で創る組織。その存在意義は前途しました「子供の成長を見守り、後押しする事」でしょう。
近年PTAは必要なのかという議論を散見します。実際にその意義を見失った組織であれば必要ないでしょう。高校生ともなれば古来では元服を終え、一人前と言われる年齢。我々が何かと口を出すべきではありません。きちんと育ってきた子供達であればPTAは何の役割も果たさずに終える事が理想でしょう。
しかしCOVID-19は感情や、脳の前頭連合野の成長に一番大切なこの時期にマスクを強要し、感情表現やそれを慮る経験をソーシャルディスタンスという名の元に禁止しました。子供達のこころの育成にはかなりまずい状態だと感じています。
しかし、それすらも乗り越える力を自分達で掴み、未来を切り開いてほしい。そう願っていますので余計な口を出す気はありませんが、何か問題があった時は親と先生で協力して全力で解決に導きたいと考えています。
教育とは「教え、育む」こと。教え育む場は学校だけではありませんし、もちろん先生だけの役割ではありません。親も先生も含めた「大人」が皆で子供達に「教え、育む」。大人が全員で子供達の成長を見守り後押しをする。その姿を子供達に見せる事がPTAの在り方ではないでしょうか。ぜひ楽しくやりましょう。大人たちが全員で楽しそうに日本の未来の希望を応援する。そんな社会ならきっと子供達も将来大人になる事にワクワクすると思うんです。大人がその姿を通して子供達にワクワクを与える事が私の理想です。
皆さまには無理なお願いをする事があるかもしれませんが、何卒ご協力よろしくお願いします。

自分らしく

先週とあるイベントに参加しました。
社会人と学生の交流イベントです。

お誘いされていたのですが予定がありお断りしていました。
しかしその予定がキャンセルになったので急遽ですが飛び入りで参加しました。

沢山の学生さんと話が出来て大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。
一人の学生さんの悩みを聞いているうちに日付を超えていましたね。

さて、
世に言う「意識の高い学生」「優秀な学生」さんもちらほら居る中
まだまだ迷っている学生さん達もたくさん居ます。

でもそれでいいと思うんですよ。

中には「資本主義をぶっ壊す!」とか「不動産で財を創って、発展途上国に学校を建てる!」とか
息まいている学生さんも居ました。
素晴らしい事です。
私なんて学生の頃なんてなーんも考えてませんでした。

でも、実際はそういう素晴らしい学生さんばかりではないです。
逆に、なかなか自分のやりたい事がまだ分からない学生さんの方が多いと思います。
当たり前です。

しかし、なんとなくそう「優秀で在らねばならない」という空気に違和感を感じます。

別に学生のうちに壮大な夢を持ってなくてもいいじゃないか。
何?夢を持ってなくちゃいけないの?

子曰わく
吾十有五にして学に志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知り
六十にして耳順い
七十にして心の欲する所に従へども矩を踰えず

との事。
あの孔子でさえ自分の天命を知ったのは50歳ですよ。
20歳そこそこの頃は「学に志し」
学ぶ時期だと思います。

学生のうちに「自分の志を立てる」なんて無理してやらなくても大丈夫じゃない?

それよりも「自分らしさ」を大切に生きて欲しい。

息まいている学生さんはそれが「自分らしい」のであれば
それでいい。

自分がしたい事はなんなのか?
日付が変わるまでずーっと人生相談して、それでも明確な答えが出ない学生さんも居ます。
そうやって一所懸命に悩む事もその学生さんらしい。

自分は不真面目なんだよなあ。って思えたら
それもその学生さんらしい。

それでいいと思うんですよ。

でも。大人から「優秀な学生になりなさい!そして優良企業に入りなさい!」
と脅迫めいた進言をされたら
何も知らない学生さんは「そうなのか!やばい。優秀であろう!優秀じゃなきゃダメなのか!」
と焦ります。

やっぱり大人が悪い。
社会構造がそうなっているから。
全てはビジネスで繋がっているから。

煽る大人が悪い。

これは我々大人の責任。

こういう就活は変えていかないといけないですね。

学生さんは自分らしさを全開にして生きて行けばいいと思います。
それは自分勝手ではないですよ。

自分勝手ってのは自分のビジネスや損得で自分が得をする事ばかり考える人の事。

世のため人のために何か自分らしく出来るかも???

くらいの気楽さで。

得意な事を得意として極める。
好きな事を好き!と堂々と楽しむ。

自分らしさは自分しか知りません。
他人に聞いて分かるモノじゃない。

ただ、こういう社会にもまれていると、
いつの間にか見失っている人も多いと思います。
そういう時は「対話」が必要です。

進言でもなく脅迫でもなく、
「寄り添う対話」が必要かと思います。

今後もこういうイベントがあれば出来るだけ参加して
学生さん達と対話をしていこうと思いました。

14歳の挑戦

今週は14歳の挑戦で地元の南部中学校の2年生の生徒さんが5日間
トミソーに来てくれていました。

男子2名 女子1名
の計3名

昨年は男子4名でした。
元気いっぱいの男の子4人も楽しかったですが
3名は教えたりするのには丁度良い人数だと感じましたね。
昨年は終ったあとガックリと疲れた記憶があります。

先日twitterで富山県外の人が富山県がやっているこの「14歳の挑戦」
を「小さな子供から無給で労働力を搾取して!酷い取り組みだ!」
とつぶやいているのを目にしました。
社労士かなんかだったかなあ。

自分の目で観たり、ましてや自分が体験した訳でもないのに
アホを言うなと。

正直、経済合理性の観点だけで観たら。
損か得か?で判断したら。

損しかありませんよ。

正直、中学生にさせられる仕事なんて
ないですよ。

中には「簡単で危険がない単純作業を延々とする仕事」が本業としてある企業さんは
それを中学生に5日間させておけばいいかもしれません。
確かにそれなら「労働力」として使うって事に繋がるかもしれません。

だけど、ほとんどのお店や企業は、14歳にさせられる仕事なんてありません。

では、5日間何をやっているのか?

「はたらく」とは何だろう?を体験してもらうために
わざわざ社員が時間を空けて、自分の仕事の手を止めて、一所懸命に中学生に伝えているんです。
少なくとも当社はその想いでやってます。
図面を描かせたり、パースを描かせたり
現場見学に行ったり、大工体験をしたり。
それ以外でも実業務ももちろんやりましたが
横で社員がつきっきりで指導しています。
効率は激落ちです。

業務効率や売上やらを考えれば
中学生を受け入れない方がよっぽど儲かります。

労働力の搾取の為に受け入れている事業所なんてないですよ。

県外の人が何も知りもしないのに
勝手な憶測と、自分の主張をもっともらしく見せるために
勝手な事をつぶやくなっちゅうの。バカが。

地域の子供達はわれわれ日本人の未来の希望でしかありません。
同じく学生含めた若者も日本の未来の希望でしかありません。

その未来の希望を地域の大人が教育するんです。
教育とは「教え、育む」こと。

教え、育むことは学校の先生だけの役割ではありません。
地域の大人全員でやるべき事です。

5日間、いろんなことを体験し
「楽しかった」と言って帰っていく生徒たち。
その経験や思い出が、はたらく事にワクワクできて、
就活の時に前向きに「仕事」をとらえることが出来る様になれば
と思って取り組んでいます。

トミソーに来てくれるかな?なんて思ってもいません。
どこで働こうが前向きに仕事をしてほしいと願ってます。

経営者を搾取者
従業員を労働者
と捉える考え方は西洋の考え方です。

日本は違う。
前も書きましたが、働くことは罰ではありません。
傍を楽にする事。即ち周りを幸せにする事です。

この5日間、経営的には儲かりはしませんでしたが
彼らの一所懸命な「はたらき」は我々大人に良い影響を与えてくれました。
三人は立派に「周りを幸せ」にしました。

それが一番ではないでしょうか。

日本の未来の希望を皆で教え、育む。
これが普通の日本的社会の在り方だと思います。

傍を楽にする

久しぶりに過去のブログを見返しました。

このブログでもちょくちょく「はたらく」の語源は
「傍を楽にする」ですと書いているのに、
そのことを深く掘り下げてなかった事に気づきました。

という事で今回は日本的な「はたらく」について掘り下げてみたいと思います。

 

まず、西洋の「働く」のルーツから紐解きます。

旧約聖書の中に書かれている最初の人類はアダムとイブです。
神に造られたアダムとイブは最初は働かなくても生きていけた楽園「エデン」に住んでいました。
食べ物にも困らず、遊んで暮らせた場所です。
神に禁断の果実「りんご」を食べてはダメと言われていたにも関わらず
蛇にそそのかされて、そのりんごを食べてしまって
罰として働かなければ食べていけない地上「人間界」に落とされてしまいました。

聖書でも分かる通り西洋の「働く」は神から与えられた「罰」なんです。

西洋人は働かなくても食べていける事を理想としている。
だから自分よりも弱いものを奴隷として働かせ、自分は働かない。
そういう奴隷を増やすために侵略戦争をする。
強いものが弱いものを淘汰し、働かせる。
できれば働かず生きていきたい。
これが西洋の「働く」に対する考え方です。

一方、日のいずる国 日本。

日本の古事記に出てくる一番の神様は天照大御神です。
天照大御神は高天原で機を織っています。
一番の神様が自ら働いているんです。

日本は八百万の神と言われる様に
全ての自然のものに神が居ると言われ
全ての神に役割があり、働いています。

日本の神様が働いているくらいですから、
もちろん「はたらく」は罰ではありません。
では何のために働いているか?

周りを幸せにするため。
「傍を楽にするため」です。

日本人は自分が食べていくため、生活をしていくために
働くのではなく、周りを幸せにするために働く人種なんです。

天照大海神のお孫さんが初代天皇の神武天皇と言われています。
歴代天皇も稲を植え、米を作っています。
天皇陛下も働いています。

日本人にとって、働くとは神様も行う神聖なこと。
誰かのためにやる事。
祈りでもあります。

傍を楽にする仕事をしてきましょう。

考えない癖

今年、息子の高校のPTA会長を承っております。
コロナ過も明けて行事がフル再開し、色々と参加させて頂いています。
コロナ明けで学校も手探りの中での行事再開。
先生方の負担にならない様に親御さんとの関係を調整していきたいと考えています。

さて、先日は体育祭に来賓として招待いただき、観覧してきました。
久しぶりのマスク無しの全種目開催。声だしOK。
応援合戦をしっかりやるのも3年ぶりでしょう。

本当に生徒たちは活き活きと動いていました。

応援合戦。
数年ぶりなので、体験してきた先輩たちの背中は追えません。
過去の動画などを参考に自分達で考えて演技をしたそうです。
自分達で振付を考え、踊り、声をそろえ、旗を振る。
全力ですし、そこには創造性と未来がありました。

もちろん勝敗がはっきりとつきます。
優勝した団は心から喜び、抱き合い、涙を流します。
負けた団は悔しがり、拳を握りしめ、足先を見つめます。

自分達で真剣に考えて取り組んだから。
全力で力を合わせて向き合ったから。

だから、
喜びも、悔しさも、涙で分かち合い
自分達の糧とする。

最高の未来を観させていただきました。

変わって先週末。
三年生の保護者向けに、進路説明会が開催され
私も参加してきました。

最近の進学状況や大学の入試トレンドなどの話、
某有名大学の入試担当者の方をお招きしての
「入試業界」事情の話などを聞きました。
ところで「入試業界」って言葉はなんなんでしょうね。

子供達をよりよい大学に「出荷」するんじゃないんだから。
もうちょっと子供の主体性から行きたい大学とか進路の事を
考え合わせていく風潮になればいいのに・・・

と思いながら聞いていました。

が、講師の方の後半の話はすごく良くて
受験生と親との関わり方のお話でした。

ここは子供の主体的な学習意欲が一番良い成果を産むとの事。
親に言われて、先生に言われて、という外発的要因よりも
自分でこの大学に行きたいから!勉強をするんだ!という内発的要因での
モチベーションで勉強した子の方が成果が出ている統計があるそうです。

まあ、当たり前です。
親はそれをそっと応援する。
内発的要因からのモチベーションが上がる声掛けをする。
それでいいんです。
ここは100%同感です。

最後はいい話が聞けたなあ。
と思っていたら、質問タイムで、親御さんからでた質問に仰天しました。

「講師の先生はそうおっしゃいますが、うちの子の場合は
かくかくしかじかで、こういう場合はどう言えばいいのでしょう?」

との事。

もうバ〇かと。

自分の子の事はあなたが一番知ってるでしょ?
その講師の方はあなたのお子さんの事は何も知らないですよ。
ましてや統計の話をしているんです。
「正解」の話はしていないんです。

自分で考える事を一切放棄して、すぐに「正解」を求めたがる大人が多すぎます。
いや、ほとんどがそうなのではないでしょうか。

統計の話を聞いて、
では、自分の家ではどうやっていこう。
うちの子はこういう傾向があるから、少しは言わなきゃな。
うちの子は言うと良くないから放置プレイが一番よさそう。
など、100人居たら100通りの正解があるはず。
正解にたどり着かなくても、どうやればいいのか?
悩みながら考えて考えて向き合っていく事が未来に繋がると思います。

考えもせずに、与えられた「正解」にすがりつき
もしも失敗した場合は他責にするのでしょうか。
過去の成功事例が未来で通用するとは限りません。

自分と自分の子の事ですよ。
しっかりと考えていきましょう。

体育祭の子供達の姿。

正解なんて誰も教えてくれない。
その中で、
力を合わせて自分達のありたい姿を求めて
全力で向き合った期間。
団の中で言い争いや喧嘩もあったそうです。

そして、喜びと悔しさの涙。

子供達だけにしておいた方がよっぽど考えて
未来を観て生きていくのでは?

子どもの未来を奪っているのは
もしかして大人なのでは?・・・

と、色々と考えてしまいます。

正解という情報を漁るのではなく
考える癖を付けていきたいものです。