被災地支援

先週の日曜日、仲間2名とその息子さん(小6)の4人で能登沖地震の支援に行ってきました。
今回で7回目の被災地支援。珠洲市は二回目です。

今回は珠洲市の「まつなぎ」という地区です。
能登半島の最北端に近く、今回の震源地のすぐ横です。
富山からは片道4時間かかりました。

ここの地区は海沿いの幹線道路しかアクセス手段がない場所でした。
今回の地震で東西の道が土砂崩れで寸断され、地震後数日間孤立していたところです。


今はなんとか通れる様になってますが、まだ大型車は通れません。
水道は復旧していませんが井戸水が豊富なのでなんとかやって行けている状況だそうです。

そこの地区センターに開設された「自主避難所」に物資を届けて来ました。

震災直後は里帰り中だった親族含めて200人以上が避難所として利用しました。
今は家に住めない方と、外部ボランティアの方々がその活動拠点として宿泊しています。
ボランティアの方々は行政の公式ではなく土木・水道・屋根などの施工会社の方や、各地のNPO法人など。解体、復旧などの専門的作業のプロのボランティアさんです。

この自主避難所が地域の復旧、復興には欠かせない拠点となっている事が分かります。

  

しかし行政の公式な避難所の認定許可がおりてないそうです。
「水道が繋がっていないから衛生面で担保できない」が大きな理由との事。
もしも行政の公式支援を受けたい場合は水道の通った遠方にある内地の避難所に行きなさいと言う事でしょうか。
彼らがこの避難所を手放して、全く知らない地域の避難所に行く事を想像できない訳ではないでしょうが、ルールなので仕方ありません。

が、しかし。彼らが居なかったら誰がこの地域を復旧や復興するのでしょう。

今回、物資をおろして、帰ろうとしたところ
「せっかく遠くから来たんだからぜひ食べて行って!」
との事で避難所のお昼ご飯をご馳走して頂けました。

近所で採れた筍の炊き込みご飯、朝採れのワカメや海藻のおかずです。
私の想像していた避難所のご飯とはかけ離れていました。
とてもとても美味しかったです。

各箇所に散らばっていたボランティアの方々も集まってきて
避難されているご近所の皆さんも一緒に
皆で海を観ながら頂きました。

この場所がなかったら、この地域の方々が大切にしてきた漁業や農業がなくなってしまいます。
経産省では今後20年で過疎化が進む予測がされていたこの土地に復興資金をかけるのか?という議論が出ているとか。
コスパが悪い・・・そんな損得ではなく土地の文化や伝統をもう少し重んじたいです。
人としてもっともっと大切にすることがあると思います。

こんな素敵な人達と、
こんな素晴らしい景色を観ながら、
こんな美味しいご飯が食べられるって
とても幸せだと心から感じました。

高級な食材を使った一流シェフの「美味しい」料理を頂くのも良いですが、
かけがえのない仲間と、大切な場所で、その土地の食物を、「おいしく」頂く。

心を満たす食事でした。

現地の皆さんは、現状をいろんな人に知って欲しいとの事。
皆さんとても元気で笑顔でした。

また再訪したいと思います。

次に近くの大谷地区の民家の被災ゴミ搬出と、処分場への運搬のお手伝いもしてきました。
納屋の屋根瓦が落ちて雨漏りし、中の物がダメになってしまったそうです。
行政ボランティアには「生活に直結しない納屋や倉庫の片付けはダメ」というルールがあったらしく、以前に要請したものの、せっかくボランティアさんが来てくれたのに「納屋ですか・・・」と何もせずに帰ってしまったとか。

今はそのルールがなくなったとか、まだ残ってるとか、
よく実情が分からなく大変困っていたとの事。

震災に便乗して震災被害ではない事までボランティアにさせようと
する人が居るのかもしれません。これもルールはルール。仕方ありません。

お家の方からは
道が開けた!
電気が通った!
飲めないけど水が来た!
そして、私達の様なボランティアが来てくれた!

そういう一つ一つが本当にありがたい。
と気持ちを話して頂きました。

綺麗な道を走れて、
電気が使えて、
蛇口をひねると水がでる。

こういう「普通」がいかにありがたい事なのかと
再認識させられました。

今回はこの二か所の支援をしてきました。

どこへ行っても被災地の皆さんは前を向いていて、
毎回ながら大変大きな元気と勇気を貰って帰ってきます。
沢山のお話も聞けて、帰りに人数分の筍と椎茸までお土産に頂きました。

改めて行政まかせではなく
人間同士やコミュニティ同士の繋がりからの支援が必要だと感じました。
不思議なことに、現地には「悲壮感」は全くありません。
現状を受け入れ、前を向く姿に感動します。

マスメディアにはあまり報道されていないと思いますが
今後もこういう個人的な繋がりを通して
瞬間風速ではない長い支援をしていこうと思います。

 

心で感じたことと、頭で理解すること

昨年入社の新入社員と共に行った輪島への支援。
現代版組曲「息吹」の神戸公演の鑑賞と、人と防災未来館の見学。
立山自然の家での二泊三日の新入社員研修。
KOTELOでの白駒さんの講演会。
週末は若手社員主催の就活塾。

3月の末から4月の第一週まではずっと子供達や新入社員、学生さん達と向き合ってました。
分からないなりに頑張る姿。仲間との関わりで変わっていく表情。成長する過程での苦悩。
人は人とでしか成長できません。
人との関わりで人間が大きくなっていきます。
それを実感できる日々。
今思い返しても喜びにあふれた日々でした。

「重要だけど緊急じゃない」第二領域に没頭していました。
こういう時間を幸せと呼ばず何を幸せと呼ぶのでしょう。

不在が長かった分、今週は沢山いただいていたアポを消化する日々。
今週はかなりの時間を会社での来客対応に費やしました。

各銀行さん、リサーチ会社さん、
4月の初めという事もあり、
毎年会社の業況の確認のために来訪されます。

話の中心は自ずと数字になります。
一気に現実に戻されますが
別に嫌なわけではなく、これはこれで大事な事なので
やっぱり一所懸命に社員が頑張ってくれている事をお伝えします。

人間的成長の大切さをぎゅっと濃縮して再確認し
会社の数字的な成長も同じく大事と再認識しました。

人間的な成長の大切さは心で感じ、
数字の大事さは頭で理解しています。

ここはしっかりと区別しておかなければいけません。

二ノ宮尊徳の訓
「道徳のない経済は罪悪である」
「経済のない道徳は寝言である」

人の成長にコミットする事
会社の数字を上げていく事

両輪が大切です。

しかしながら、
なかなか自分一人の体では出来る範囲が限られます。
やりたいことが沢山ありすぎて追いつきません。
社内で役割分担をし、両輪を大切にしながら
走らせることが出来る同志を作らねばなりません。

リーダーの成長が求められます。

リーダーへの語りかけも含めて
まずは中今を一所懸命に生きる。

人の成長も、数字の成長も
両方に全力で取り組みます。

希望と勇気

4月2日、3日、4日の三日間
百年示道塾とやまの合同新人研修「若手塾」を
立山少年自然の家をお借りしまして二泊三日で行いました。
今年は5社13名の新入社員が参画します。
大学卒、短大卒、高校卒と年齢もバラバラですが
この4月から社会に出るというスタートラインは全員同じ。
入社後いきなり集まっての社会人研修です。

基本的にはグループでの「対話」を中心に
問題提起をして考えてもらい、意見をぶつけ合ってもらいます。
体育館をお借りしてのアクティビティで連帯感を高める事も行いました。

内容は、
「かっこいい大人」とは?
「ハタラク」とは?
自分にとっての「シゴト」とは?

など、答えのない難しい問いばかりです。
しかし、乱暴に問いを与えるのではなく
講話や動画鑑賞、映画鑑賞などをして示唆は与えます。

とはいえ、「かっこいい大人」って言われてもすぐには出ませんよね。
普段からそういう事を考えてないと出てこないと思います。

「ハタラク」や「シゴト」も同じ。

だから対話も必要です。
色んな人の色んな意見を聞いて
また感じる事があり、考える事ができます。

3日間もかけてそれをやると
頭をフル回転させて凄く疲れます。

しかし、社会に出てすぐのこのタイミングじゃないと
こういう機会は作れません。

学校では「高い点数を取る」事を目的に
知識の詰め込みを「教育」と思い込み、子供達に押し付けています。
記憶力の高い生徒や頭の回転の早い生徒を「優秀な学生」として
基準をそこに設けます。

そして社会に出て、やはり「仕事を覚えるのが早い社員」や
「てきぱきと物事を早くこなす社員」を作ろうと
スキルや技術の研修や教育が始まります。

全部大人が悪い。

本来は、
社会とは「人としてどう生きるか?」を学ぶ場所。
シゴトやハタラクを通してどういうかっこいい大人になるか?
を見定め、人と人がぶつかり合って磨かれる場のはず。

会社はそうあるべきだと思います。

点数や売上を追う事ももちろん大事ですが、
人としてどう生きるか?はもっと大切。

それをこの研修を通して一年かけて彼らに伝えていきます。

それにしても彼らを見ていると、
すぐに「正解」を出そうとしている様に感じます。
合っているか?間違っているか?
そういう「教育」を学校でしてきて、
普段もスマホを見ればすぐにそこに答えがある。

考える習慣がないんでしょう。
答えは自分の中にあります。

これも完全に大人が悪い。

せめてこの子達は
考える事を習慣づけて、
自分の心から導き出される「答え」を大切に生きて欲しいです。

この先が楽しみです。
彼らからは希望と勇気を頂いています。

傍を楽にする

百年示道塾とやまの合同新卒社員研修「若手塾」
昨日はその最終講でした。

例年だと社会人としての一年目を振り返り、
翌週から「先輩」となる心構えを醸成・共有する場を造る。
そういう場として設計していますが、
今年は若手社員全員で被災地の輪島まで支援物資の運搬を行いました。

全国の経営者仲間やJCD(商環境デザイン協会)仲間から頂いた義援金にて購入した水や物資を
10tトラック2台、ハイラックス1台、ハイエース1台分というかなりの量を運びました。

本当に大変な量でしたが現地の人とも協力して全ての物資を降ろして来ました。
約2時間かかり、6キロある水のケースを2000箱
バケツリレー形式で降ろします。
もう手がパンパンになりました。
かなりの重労働でしたが被災地の方々の喜ぶ笑顔を見て
力を緩める訳にはいきません。

また、
被災して今なお大変な生活をされている現地の方々のお話しを聞いたり、
実際に火災で燃えた地域を視察したり、
ボランティアで応援に来ている大学生の話も聞きました。

若手社員一人一人、
彼らなりに思うところがあったでしょう。

帰り道の車内では
はたらくの語源である「傍を楽にする」の意味を実感した。
大変だったけど誰かのために行動する事は楽しかったし、やりがいがあった。
と、良い感想や意見が出てきました。

被災地を応援する目的で支援に訪れていますが、
毎回力を頂いて帰って来ています。

新入社員からすると
日々の仕事の中でその先の「お客さま」を意識して
はたらけている人は少ないと思います。
まだまだ先輩の指示に従って、早くやれる事を増やしたい。
一人前になりたい。
仕事を「スキル」の集積として考える事が多いでしょう。
今は仕方ありません。

今回、実際にその先に居る「人」を感じました。
自分が汗を流した結果、喜んで頂ける人の顔を直接見れた事は
彼らにとって大変大きな意味があったと感じます。

傍を楽にする。

日々の仕事でも社員が常にこれを感じられる様な場を創っていきたいです。

 

メンタライジング・リーダーシップ

「高2生徒、カンニング発覚後に自殺」という記事を読みました。

2021年12月
大坂の進学校の期末テストでとある生徒のカンニングが発覚。
全教科0点という処分と共に写経80枚と反省文を書いたそうです。
日ごろから校長が「カンニングはひきょう者のやる事」と訓示していたそうで
反省文も指導教師が「ひきょう者」を引用した内容に加筆修正させたとか。
その二日後に生徒は自殺しました。
遺書には「このまま周りからひきょう者と思われて生きていくのが怖くなった」とありました。

そして両親が息子を自殺に追いやったのは学校の指導の責任として
学校側を訴訟する予定だそうです。

考えさせられた記事です。

間違いなく彼のやった事は良くない事。
でも、もともと「ひきょう者」として産まれてきた人は居ないと信じます。
短い時間ではありましたが彼が生きてきた中で彼をそうさせた原因があったはず。

もしかするといろいろなプレッシャーでカンニングをせざるを得ない状況になったのかもしれない。

今起きている事象には必ず原因があります。
起きた事を再発させないための叱責も大事ですが
なぜ、彼がそうせざるを得なくなったのか?の原因追及がもっと大事だと感じます。

そうやって人に寄り添いながら、
「この人なら素直に話しても大丈夫なんだ!」と思って貰える関係性を築き
深層心理にある「原因」を見出して、
一緒に乗り越える。

そういう行動を「メンタライジング・リーダーシップ」と呼ぶそうです。

なかなか表面上の出来事しか目に入らず、
どうしてもそこにフォーカスしがちです。
相手との関係性が長くなれば長いほど、
なかなかメンタライジングできない気がします。

私も反省すべき点がたくさんあります。

リーダーになる人にはこの力が必要だと感じます。
日々、起こる事象に囚われずに、深くにある原因に目を向けていきたいですね。