8月1日は富山の花火大会です。
私も子供達が小さい頃は一緒に花火を見たものです。
会社に車を停めて神通川の河川敷まで歩きました。
8月1日は昭和20年に実施された富山大空襲の日です。
1日から2日にかけて沢山のB29が焼夷弾を落とし
一般人が住んでいる富山の市街地の99%以上を焼き尽くしました。
1回の空襲で落とした焼夷弾の数で見ると日本で行われた空襲の中では
一番多いとの事。
2000人以上の方が亡くなられ
1万人以上の方が被災しました。
偶然ですが、
昨日空襲を体験された方とお話をする機会がありました。
その方は6歳の時に富山大空襲に遭われました。
お兄さんに背負われて呉羽山の上にある防空壕から
B29が落とす大量の焼夷弾を観たそうです。
B29は20時ごろ一回富山上空を通過していったのに
1時間後くらいに戻って来て富山を襲った。
(史実を確認した訳ではなく、その方の幼い記憶を語られたままに書いています)
空襲対策で電灯をつけていない街にB29からいくつか照明弾が落とされた。
焼夷弾で焼き尽くされる富山の街はすごく明るかった。
防空壕の中に雨水が溜まり、ボウフラや蚊が沢山いて嫌だった。
憲兵が来て、この防空壕も危ないから移動するように言われた。
など、幼いながらも頭に焼き付いている記憶を生々しく語られました。
B29は逃げ道を断つ目的で最初に神通川と常願寺川にかかる橋を落としたそうです。
その様子も見て取れたとか。(常願寺川は流石に事後情報と思われますが)
空襲が収まり、翌日に街に下りると、
沢山のご遺体が神通川や富山城のお堀に浮いていた。
浮いていたというより、押し重なっていたそうです。
大人の人が「子供は見るな」と手で顔を覆ったそうですが
一瞬の光景が忘れられない。
大変貴重なお話を聞かせて頂きました。
私の祖母も富山に居たはずです。祖父は二人とも戦争に行っていました。
空襲や戦争に生き残った祖父や祖母のおかげで
今の私の命があるんですね。
そして、そこで断たれた沢山の命もあります。
8月1日の花火大会は富山大空襲で命を落とされた方々への慰霊の花火です。
綺麗な花火を観させていただく前に
ちょっとだけ手を合わせて亡くなられた方々のご冥福をお祈りしましょう。