タイトルの「動機善なりや? 私心なかりしか?」
は稲盛和夫氏の言葉です。
私も元盛和塾生ですから、この言葉は何回も聞きましたし
肝に銘じて生きていこう!と努力してきたつもりです。
つもりと書いたのは、
今思えば全然その深さが足りなかったと感じるからです。
しかし、その私心にもいろいろあると最近気づかされました。
「私心」
自分の為の事ばかり考えた心と読み替えていいでしょう。
・自分が儲かればいい
・自分が楽できればいい
・自分が楽しければいい
・自分が幸せであればいい(※こういう方の求める幸せは本質ではないと感じますが)
まだまだあるでしょうけど、
さっと思いつくものをとりあえず並べてみました。
私の中では、
栄達欲も私心かと考えています。
・人に認められたい
・偉くなりたい
・権力を握りたい
・有名になりたい
こういう栄達欲も含めて
とにかく「欲」とつくものは全て悪と
教え込まれてきました。
しかし、その動機が善から来るものであれば
栄達欲も大事な原動力になると気づきました。
自分の影響力を高める事が周りを幸せにするのであれば。
人から認めてもらい、権力を握り、有名になるのは手段としては有効です。
無欲を貫き、一所懸命に人の為に尽くして、その結果栄誉を得る人ももちろん居ます。
そういう方は神の領域の人でしょう。
人類の中でも一握りの方々です。
私達の様な凡人には、到底たどり着けない境地です。
しかし、実現したい善なる未来があり
それを強く強く願うのであれば
自分が栄達した未来を思い描いて、その欲を利用して
困難に打ち克つ力を出す。
そういう意味で、私心もあっていいなと
あるきっかけで感じました。
動機が善なれば、私心もよし。
凡人が、善なる未来を強く強く願い、
結果を出すためには有効な考え方の一つではないでしょうか。