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お金の価値は市場により上下するが、人間の価値はどうか

今の世の中はお金をたくさん持つことが人生の成功の様に捉えられています。

働く場を選ぶ基準が
「どれだけ人間的に成長できる職場か」
ではなく
「いくら稼げる仕事か?」
の方が重要視される風潮だと感じませんか?

「少ないコストで多く儲けられる仕事」が良い仕事
という穿った考え方が世の中のほとんどを占めてます。
そして働き方改革がそれに拍車をかけています。
果たして人は「働かない時間」が多い方が幸せなのか・・・
その上国は副業や投資を推奨している。
おかしな世の中です。

与党の政治家さん達が自分のお金の事しか頭にないんですから
それにまとわりつく企業の面々もそうなるのは必然。
世界を動かしている人々が「お金」に固執している。

「お金を持ってない人は価値がない」みたいな幻想に囚われています。
逆に言うと
「お金がなくなったら自分の価値が下がる」と思い込まされている。
経済至上主義に洗脳され、しかもそれに違和感を感じていない。

「全ての価値基準がお金に置き換わる」
破滅する民族の条件の一つです。

今の世界は完全に破滅の道を歩んでいます。
まさに人間の衰退。

しかし、こういう時だからこそ
人の価値をきとんと見直すべきです。

人の価値は
「どれだけのものを創れるか」
だと思います。

米を作れる人
野菜を作れる人
家を建てられる人
新しいアイデアや事業を産み出せる人
人と人との関係を気づける人
新しい仲間を創り出せる人

こういう人が本当に価値のある人です。

お金を自分の価値基準の中心に置いている人は
金融市場の上下に一喜一憂し、
もしも自分の持っている資産が無価値になったらどうしよう
と戦々恐々と生きているでしょう。

しかし、
何かを創り出せる人は
お金を持っている持っていないに関わらず
常に自分の大切なものを創り出す事に集中していられます。

何かを創り出すには。
その対象物に一所懸命に向き合わなければなりません。
鍛錬が必要です。
そういうものづくりをしていると、人間が磨かれます。
一朝一夕に出来上がるものでもありませんし
もともとそれを持って生まれた人もいません。

人生を歩むうちに、鍛錬を重ね
身に着けていくものです。

そういう場が「働く場」であるべきです。
そういう場を社会が担っていくべきです。

お金の価値が簡単に上がったり下がったりする時代

私達は揺るがない価値を手に入れる鍛錬をしていきましょう。

 

管理される組織か 自走する組織か 

先日、トミソー社内報「ふむふむ」の第一号が発刊されました。
不動産事業部の山口課長と広報担当の鬼原の女性二人で話し合って創ったそうです。

当社は30人弱の会社でありながら4事業部あります。
独立採算制で各事業部で目標を立てて日々業務に励んでいます。

そうやって各チームで目標に向かって頑張っている事は良い事ではありますが
セクショナリズムが現れてくるというデメリットもあります。

山口課長は以前からなんとなく社内が、事業部間の連携や他部署への興味が薄い
と感じていたそうです。
まあ、バチバチで犬猿の仲って訳ではありませんが、
もっともっと深められる。

昨年、トミソー70周年を機に今後100周年に向けて「何を大切」にしていくか?
を社員全員で1年かけて話し合いました。
そしてトミソーのミッション、ビジョン、バリューを制定しました。

トミソー70周年特設ページ

その中のミッション
「一人一人が最大限に力を発揮できる風土」
創りのために相互理解は必要です。

他の部署が何をやっているか?
あの人はこういう趣味があるのか?
などもっとお互いの事業部や人に関心をもとう。
無関心では、事業部を飛び越した協力体制もとりにくい。

という想いから製作が始まった「ふむふむ」

今期のトミソーのスローガン
「ひとつの家族」
にも繋がります。

この社内報ですが、
私は一切関与していません。
「なんか創っているな~」くらいは感じていましたが
創れという指示もしていません。
相談すらされていません。

逆に社長を驚かせてやろうと
こっそり創っていたそうです。

内容のクオリティや
それがどこまで効果があるか?
など、事前検証も大事ではありますが
何より「まずやってみる」の姿勢が嬉しい。
これが一番大事な事。

自分達で課題感を確認して
それを自分達で少しでも解消できないか?と動いてみる。

まさに自走する組織になりつつあるなと感じました。

こういう「自走」は大歓迎です。
いちいち社長に「やっていいですか」なんて聞く必要はないんじゃないかな。

ましてや
「こんな課題があるんですが、なんとかしてください」
という姿勢ではありません。

もちろん会社の課題解決は経営者の仕事です。
課題解決を社員任せにする気はありません。
日々頭を悩ますところです。

そういう時に同じように頭を悩まし
何か自分でも出来ないだろうか
と行動してくれる仲間の存在は
勇気を与えてくれます。

何か全く新しい事を始める時は勇気がいります。
うまく行くかも分からないです。

それでもちょっとでも変わればと思い
一歩前進して、何か行動をする。
しかも自分達の意思で。

こういう動きは絶対的にバックアップしていきます。

トップが指示、管理する組織ではなく
至る所で考える行動が発生しつづける
「自走する組織」をもっと加速させたいです。

弥栄

今朝、住宅のお客様の地鎮祭がありました。
立山連峰が綺麗に見渡せる、田んぼのまんなかの土地を購入されました。
すぐ近くに神社もあり素晴らしい環境の場所です。

1歳ぐらいの男の子とご夫婦。
「庭にテントを張って山を眺めながらキャンプをするんだ」
との事です。

夢が膨らみます。

地鎮祭の後、お下がりを頂いて直会をします。
乾杯ではなく弥栄(いやさか)でいきましょう。
と神主さんが言われました。

初めて掛け声を弥栄で発生される神主さんとお会いしました。
晴天の中、心地よい風がそよぎ、雄大な立山連峰にも見守られ
とても良い地鎮祭でした。

本当にこのご家族の弥栄をお祈りします。

元々、家づくりは神事に近い事でした。
大工の棟梁は上棟式で祝詞を奏上していたそうです。

人の生活に家は必要な事。

そう考えると、家創りって貴いですね。

いつから家が製品になったのか。
戦後、建築基準法が制定され、建築が匠の技ではなく
製品化されていった気がします。

昨年は富山の住宅を手掛けていた会社が5社倒産しました。
今年に入りすでに2社倒産しています。
まだまだ倒れそうという話も耳にします。

もしも家を建てた会社が倒れたら、
だれがその家をメンテナンスしていくのだろう。

地域で、地元で、家を創る会社は
倒れたらダメです。

富山にも勢いのある大手の住宅メーカーさんが進出してきています。
かなりの効率化を計った家創りをしているそうです。
そのシステムを導入しませんか?と営業をかけてこられました。

私達みたいな地域の工務店が、
大手と同じことをやって勝てるはずがありません。

それ以前の話、
関わるスタッフの人数と時間を減らし
効率よく家を売っていくシステムなんて屁ほども欲しくありません。

祭壇の前で玉串をかかげ「弥栄」をお祈りする。
そういう時間を大切にしていきたいです。

我々は潰れたらいかん。
と強く再認識したと同時に
日本の家づくりを見直したいなと思いました。

学生の自然

先日、ある学生さんから
「木村社長は芯がぶれてませんね」と言われました。

その学生さんは、自分が何に向いているのか?
何を芯としてやって行けばいいのか?
悩んでいるとの事。

確かに48歳になった今
私は「人生を賭けてやりきる」と言い切れる志があります。
私に関わる全ての事業や行動をその志に向かえるように、
もがきながら生きています。
こういうことを芯がぶれないというのかな。

しかし、若いころからそんな思いがあった訳ではありません。
ましてや学生の頃は何も考えていませんでした。

その学生さんとの対話の後
いろいろと考えを巡らせました。

自分の事を思い返すに、
自分の芯が固まってくるきっかけは
はたらく中で起きた心に響く体験だった事に気づかされました。
原体験と言えるでしょう。
心の奥底から「これが大切なんだ!」と思えるような衝動です。

自分が創ったお店を潰したくない。
トミソーに入社した若者を成長させる。

そう心から感じた出来事。
そういう体験ははたらく中で得られる事が多いと思います。

お給料を頂く。
お客様から代金を頂く。
お客様の営みに関わる。
お客様の生活に関わる。
仲間と共に力を合わせる。
仲間に助けられる。
仲間に勇気をもらう。
地域の若者を雇用する。
社員の人生を背負う。
関わる人の人生に影響を与える。

私もはたらく経験の中、
どんどんと立場や責任や影響を及ぼす範囲が大きくなっていき
視座が高まっていき、起きた出来事を原体験に置き換える事ができました。

まだはたらいた経験の少ない学生のうちは
視座が高められず、そんな簡単に志をもてず、
芯が定まらないと思います。

例外的に、

人の死に触れた。
自分の死を感じた。

など、「生きる」事での原体験を経て
若いうちから志を持つ学生さんもいるでしょう。
しかし今の平和(ボケ)な日本ならそんな子は0.1%も居ないのではないでしょうか。
(東日本大震災や今回の能登沖地震など例外はあります)

原体験をもたない学生さんに志がない。
実はこれはダメなことではなくて
自然な事だと気づきました。

逆に学生の内から高い志を掲げている人。
それは本当に心の奥底から来た衝動なのか?
「志を持つ事」が目的となっていないか?
志を持っていないと、優秀とみられないから
無理やりそれっぽい事を言ってないか?
本心か? 自分に嘘をついてないか?
自分を偽ってないか?

もしも、
もしもそうだとしたら、
そういう言葉を発しながら突入する就職活動は
苦しさしか産まないと思うよ。

自分はまだまだだなあ
と思い悩む。
理想と現実の乖離を感じる。
その時点で現在の自分よりも一段高い視座から
自分をみている事になります。

理想も分からずもがき苦しんで。
でもいつかは、必ずぶれない芯を持つ!と一歩前に進む。
前に進むのは勇気が必要だけど
その一歩一歩の努力が一番大切な事です。

と、いう事で
意識高そうな同期や同級生とか気にせずに
悩んでいるなら「自分は悩んでます!」と
自信を持って、正々堂々と、カッコつけずに、素直に
言おう。
それが自然だと思う。

何も恥ずかしくない。
その方がよっぽどカッコいい。

本物の自分

この4月で会社を継いで12年が経ちました。
長かったようであっという間だったような。

社長というものがどういうものか
全く分からず。
経営者の勉強会に足しげく通ったり
本を読んだり。

自分なりに色々と学ぼうと努力しました。

教えてもらえるのは、その方の体験談が基になったもの。
その人なりの「やり方」でした。

社長とは。
社員の前ではこういう話をしなくてはいけない。
こういう目標を立てなければいけない。
こういう行動をとらなければいけない。

など、「こうあるべきだ」
という形に囚われていました。

何を見ても
何を読んでも
誰に聞いても
そういう教えを貰っていたと
記憶しています。

「本物の自分」ではなく
「社長である自分」を取り繕っていました。
そんな自分を取り繕っている社長の発する言葉に
社員の心が動かせるはずがありません。

まるで、今の就活生さんの様です。
同じ服を着て
同じ髪型で
同じ受け答えをして
「優秀な学生」を取り繕う。

全て大人が創った今の社会が悪い。

おかげさまで今は
呪縛から解き放たれた気分です。

本心からやりたい事が出来ている。
本心から「人間として大切」と思える事を大切と言える。
それを分かって貰える仲間が社内にも社外にも出来てきました。

分かるまでに
12年かかってしまった。

やっぱり長かったな。
さて、分かったからには巻き返します。

時間がかかった分を取り戻します。
大切な事だけをやり続けられる会社にしていきます。